益子で生きる、益子を活かす
160年にわたる歴史を感じさせる工房を訪ねると、6代目の岩下宗晶さんが穏やかな笑顔で迎えてくれました。
本日はよろしくお願いします。改めてホームページを拝見したんですが、岩下製陶さんの創業は慶応2年。まさに益子焼の誕生とほぼ同時期、江戸末期から共に歩んでこられたんですね。
岩下: (深く頷きながら)そうですね、益子の中でも古い方だと思います。この裏にある2基の登り窯も、現存する中では関東最大級で、原型を留めている窯では、益子で一番古いものじゃないかと言われています。
今も使われているんですか?
岩下: いえ、もう50年ほど火は入れていないんです。とてつもなく大きくて、今の僕と父の2人で使うにはサイズが合いませんから。昔は職人さんが35人くらいいて、日常の道具、例えば水がめや、すり鉢、紅鉢(べにばち)、雪平鍋なんかを大量に作っては東京方面へ出荷していた活気ある時代の象徴ですね。
35人も!大きな拠点だったんですね!紅鉢(べにばち)などの道具作り、今では珍しいですね。
岩下: そうですね。紅鉢は、最近だと「メダカを飼うのにちょうどいい」と探しに来られる方がいたりして、面白いなと思います。
小さい頃の、登り窯の思い出はありますか?
岩下: 子供の頃は、「不思議な建物だな」と思って登って遊んでいました。うちは、仕事場に子供を入れて遊ばせてくれる親だったので、父が作業する傍らで、粘土で動物やクワガタなどを作ったりしてね。
(笑)。遊びの延長で作ってたんですね!
岩下: ええ。でも、その時の「自分の手で形を作って、それが焼けて残る」という楽しさが、今の僕の原動力の根っこにある気がします。祖父からは「お前が岩下の後継ぎだぞ」とずっと言われましたが、当時はあまり強く意識したことはありませんでした。
自然と受け入れられた?
岩下: ただ、高校から大学へ進む頃、この道に進むには、ただ家が製陶所だからという中途半端な気持ちじゃ続けられない。本当に好きでやらないと、この先はやっていけないなって。一度はガラスの質感にも惹かれましたが、結局は、自分に一番しっくりくる「陶芸」の道を選んで、地元の文星芸術大学へ進みました。
宗晶さんの代名詞ともいえる「マレーバク」の置物。どんなきっかけで作り始めたんですか?
岩下: バクを作り始めたのは大学生の頃です。当時は、制作の悩みや人間関係のトラブルなど、いろいろと抱え込んでいてすごく嫌な時期だったんです。そんな時、たまたま動物園でバクを見て、鼻がデロンとしていて、口を開けてすごく気持ちよさそうに寝ていて・・・。
なぜか惹かれた!
岩下: ええ。「こいつなら僕の悪い夢を食べてくれそうだ」って(笑)。自分を癒すために、粘土で作って手元に置いておいたんです。それが始まりでした。
最初は売り物じゃなかったんですね!
岩下: ある時、お客さんに「これがどうしても欲しい」と食い下がられて売ったことがありました。この体験で誰かの癒しになるならと思って、バクの作品を陶器市に出してみたら、意外にみなさんが楽しそうに選んで買っていってくれました。今では子どもが自分のお小遣いで買ってくれたり。何十分もかけてどのバクにしようか悩んでくれる人がいたり・・・。
私もファンの一人ですが、今や岩下製陶の顔ですね!
岩下: ありがたいことに、(令和8年)8月15日から「もえぎ」さんで、バクだけの個展「バク展」を開催することになったんです。自分の中の癒しが、誰かの愛されるものになる。こんなうれしいことはありません。
本格的に陶芸の世界に入られてからは順調でしたか?
岩下: いえ、30代前半から半ばぐらいまでは、モノを作る事に対して悩み、モヤモヤしている時期がありました。注文仕事や展示会の準備に追われるうちに、いつの間にか、かつて感じていた「作る楽しさ」を忘れかけていたのかもしれません。
そんな時に、イギリスのリーチ工房へ行かれたんですね。
岩下: はい。益子陶芸美術館とリーチ工房の100周年記念プロジェクトで、若手作家2名に選んでいただいて、現地のスタッフと一緒に2か月間、工房スタッフの一人として、スタンダードウェア(工房オリジナルの器)を勉強しながら制作し、陶芸を通じて交流する経験をしました。
益子を離れてみていかがでしたか?
岩下: 益子を離れて、自分がいつも立っている場所を外から見れたのは、大切な経験でした。また、いちばんの収穫は、マット・フォースターという友人との出会いです。彼は、自分が見たもの、感じたものすべてを次々と形にしていくんです。新しいものを生み出す大変さはあるとは思いますが、その姿は本当に楽しそうだったんです。
日本で「作らなくちゃ」って悩んでいた岩下さんには・・・
岩下: 衝撃でしたね。彼が「作家なんだから周りを気にしてもしょうがない。楽しまないと嘘でしょ」と笑って言った時、はっとしました。僕が子供のころに粘土遊びで感じていた、あの純粋な楽しさを思い出したんです。
イギリスの地で、ものづくりの「原動力」を思い出したんですね!
岩下: はい。益子は他の産地・・・例えば有田は410年、信楽は800年ぐらいの歴史があるところに比べれば、まだ173年と「若い産地」なんです。外から来た濱田庄司先生を受け入れた歴史もあるし、僕のように伝統的なこともやりつつ「バク」を作っているような人間も、のびのびとやらせてもらえる。この多様性が益子の魅力だなと改めて気づきました。
益子には、受け入れてくれる懐の深さがありますね!
岩下: 最近、小さな薪窯を自分で作ったんです。自分で薪を割って、1年間乾燥させて、準備にも手間がかかるんです。
手間がかかっても、薪窯で焼く理由は?
岩下: 薪をくべて、火を起こして、温度を上げていって、窯の中を覗くと、炎が踊っていて釉薬がとろっと溶けてくる瞬間が見えるんです。あの高揚感は何物にも代えがたいですね。
薪ならではの良いものが生まれるんですね?
岩下: ええ。全部失敗になることもありますが、薪窯は計算を超えて、自分の実力以上のものが出ることがあります。それが面白いんです。「失敗しないように」ではなく「どれだけ楽しめるか」。もちろん灯油窯の安定感にも良さがあるので、作る作品によって窯を使い分けながら作陶しています。僕がやっていることなんて陶芸の広い世界の中では、「小指の先」くらいのものですが、それでも言葉を超えて世界中の人とつながれるのが焼き物の面白さですね。
昨年ご結婚されたそうで、おめでとうございます!
岩下: ありがとうございます。彼女は陶芸美術館の「益子国際工芸交流事業」の一人として、海外から制作に来た作家をサポートする仕事をしているんです。自分とは違う視点を持っているので、すごくいい刺激になりますね。
ご夫婦で描いている、岩下製陶が目指す未来はどのようにつながっていきますか?
岩下:
リーチ工房で学んだ「スタンダードウェア」の考え方を大切に、日々の暮らしに自然と馴染み、質が良く、長く使い続けてもらえる「岩下製陶のスタンダードウェア」を作っていきたいと思っています。
そしていつか、その器が多くの人の暮らしに根付き、益子を思い浮かべたときに自然とそこにあるような、この町の風景や文化の一部になれたらと思います。
また、お店もただ器を販売するだけの場所ではなく、人が気軽にふらっと立ち寄り、自然と人が集まり、笑い声が絶えないような場所にしたいと妻と話しています。
器づくりとともに、人と人がつながる場所を育てながら、益子の中でみんなに親しまれる憩いの場を作っていきたいと思っています。
そんな岩下製陶を、これから妻と二人で作っていきたいと思っています。
岩下さんの作る器やバクのように、温かい場所になりそうですね。
岩下: 器は作ったところで完成ではなくて、使う人の生活に入り込んで、そこからまた新しい物語が続いていくものですからね・・・。
対話を終えてから、大きな登り窯がある工房を丁寧に案内してもらいました。160年の歴史を持つ「岩下製陶」は、伝統を守りつつ、決して型に嵌まることなく、最後の言葉も印象的で、優しくて温かいものでした。
年に2回50万人もの人々が訪れる「益子陶器市」の喧騒も、この工房の穏やかな空気もすべて地続きの益子です。是非一度、この場所を訪れてみてください。あなたの「悪い夢」を食べてくれるバクのような、心安らぐ出会いが待っているはずです。
まずは8月15日からの「バク展」へお出かけになってみてください!
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