今日は、オフィスましこのねの栗谷さんにお話を伺いたいと思います。
栗谷: どうぞよろしくお願いします。
まずは、先日の渋谷QWS(キューズ)でのビジネスマッチングイベントの企画、大変お世話になりました!
商工会が企画をした益子焼の作家さんと全国の企業を繋ぐマッチングイベントでしたが、栗谷さんにはその企画の立ち上げから実施までトータルでご協力いただきました。
※詳細は益子町officialコミュニティ「ましこみゅ」へ
とってもお世話になりました!
栗谷: いえいえ、とんでもないです。色々と課題が残りましたけどね。
初の試みでしたからね。今後もまた続けていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。
まずは経歴をお聞きしてもいいですか?
秋田からと伺っていますが、益子町にいらしたきっかけがあったんですか?
栗谷:
両親が美術系だったので、
昔から絵を描いたり、物作りをすることが好きだったんですよね。大学では日本画を専攻していましたし、子どもの頃から将来は何かしら物作りする仕事がしたいと思いながら育ちました。
そんな中で、一時期メディア関係にすごく傾倒した時期があって、学生の時は4年間ずっとテレビ局でアルバイトをしていました。
その流れで卒業後、?制作会社に?入社し、?テレビ局?の報道の現場で撮影クルーとして働いていました。
テレビ局で働いてた!秋田放送ですか?
栗谷:
NHK秋田でスタッフとして働いていました。
あの当時の仕事は、それはそれで楽しかったのですけど、会社単位の大人数で作るものづくりじゃなくて、自分自身でプロデュースできる仕事がしたいなと思うようになりました。それで、当時仕事をしながら秋田県内のいろんな作家さんを訪ね歩き、その中で陶芸の師匠と出会いました。
どんなところが魅力的な方だったんですか?
栗谷: 俗世に囚われずに、一心不乱にものづくりに打ち込む姿勢とか仕事場の環境ですかね!
俗世に囚われないって、何かエピソ-ドありますか?
栗谷: いわゆる”ザ・陶芸家“って感じで、、、まるで仙人みたいな暮らしをしていましたね。
つまりは栗谷さんにとって神様みたいな方・・・
栗谷:
それは飛躍しすぎ(笑)
ものづくりをする上での精神的な師匠みたいなところですかね。
しばらく仕事しながら師匠の元に通って焼き物の勉強していました。2年ぐらいはそんな状態が続いて。
ただ、 ずっと2足のわらじを履くような状態もどうなのかなって。
当時まだ若かったので、いきなりそこから焼き物の世界に入っていこうと思い立って、仕事を辞めました。
それで、秋田から1番近い大きな産地である益子に何の考えもツテもなく来て。最初に訪ねた窯元で修行を始めました。
そうなんですね~
栗谷: 最初はいろんな産地を渡り歩きながら、武者修行みたいなことをしようかと思っていたのですが、最初の場所でもう20数年居座っています(笑)
益子の陶芸家さんが、すんなり受け入れてくれたということですね?
栗谷:
そうです。益子の師匠はゆみ陶の大熊さんで、そちらで4年間修行しました。窯元自体はもう閉じてしまったんですけどね。
2000年に引っ越してきて、2004年に独立しました。早いですね~、20年経っちゃいました!
気が付いたら一番定住しているのは、ここ益子なんですよね。
面白い経歴ですね~
栗谷:
でも結構ね、焼き物屋さんって面白い経歴の人たくさんいるんですよ!
東大出身の方も結構いますし・・・
あと、今は少なくなりますけど、同郷の秋田から来ている人も結構いたし。同じように、テレビ関係のお仕事をしていた人とか。いろんな経歴の方がいますね。
映像関係のお仕事をなさっていたという事ですが、「アトリエ百景」という独自の映像 は素敵ですよね!
アトリエ百景:https://www.youtube.com/playlist?list=PLogiR6iZkcmW6G1DaS-I3rqTLoJMRMxe7
栗谷: 工房を訪ね歩くというね。
どんなきっかけで始まったんですか?
栗谷: あれはですね、実は結構苦しい時期に始めたものなんです。
何年ぐらい前から?
栗谷:
約3年前から始めました。今現在は更新が止まっていて、去年1年は更新してないのかな。
始めた頃はちょうどコロナ禍で、今まで会社として行っていたイベント関係の仕事がいきなりなくなって。子育ても結構大変な時期だったので、結構苦しい 時期にやり始めたんですよ。
さあ、どうしようって思った時に、ちょっと違う路線の仕事をやっていきたいなって思ったのと、自分の中でも、焼き物以外の方法で何かしら表現というか、もの作りで独自のコンテンツを作っていきたいという様な、想いがありました。
その結果、別にお金とかはどうでもいいから、とにかくやりたいことをやろうと思って、いろんなところを取材して歩きました。
益子のPR活動の様に言われることが多いですが、当時はただただやりたくてやっていたという意識が強かったので、益子町の魅力発信に繋がったというのはただの結果です。
はい。
栗谷:
それで色んな方に声をかけて、「YouTubeで番組を立ち上げるので、仕事場の映像を取らせてくれませんか?」って。
だから、別に誰から頼まれたとかいうわけでもないし、それでお金を儲けようとか、そういう気持ちがあったわけでもなくて、純粋に自分がやれることの中で何かしたいっていうところから始まったコンテンツ制作ですね!
どちらの工房も素敵に撮れてますよね!
いくつくらいの場所を回ったんですか?
栗谷:
現在、30本ぐらいは公開されていますが、実は未編集の撮影素材はまだ結構あります。始めた当時、自分の機材環境がちゃんと整ってないのに、4kで撮影して4kで編集するというちょっと荒っぽいことをやっていたら、すぐにスペックが追いつかなくなってきてしまって。
ストレージも桁違いにどんどん溜まってきちゃって。
PCにも相当な負荷がかかるし、正直このペースでは続けられないなと思って。
ちょっと1回止めましょうと。
コロナ禍を終えて、自分の会社の仕事が忙しくなってきたという事情もあるんですけどね。
現在、機材を含め環境がかなり充実してきたので、今年から再開しようと思っています!
実際にやってみてどうでしたか。
栗谷:
面白かったですよ。視聴された方の反応もすこぶる良かったですね。
さっき、お金のためにやっているわけではないとは言いつつも、撮ったものを残すことで、「会社としてはこういう映像が作れます」とPRに繋がりました。
それから、取材した作家さんには、公開されているYouTubeのコンテンツは自分のPRとして使ってくださいっていう風にお伝えしてあります。
例えばその作家さんの器を扱っている販売店から、「この動画、うちのホームページで流していい?」みたいなお問い合わせもあって、そういうのも大歓迎です!
皆様と良い関係が築けてますね!
栗谷:
作家さんにとっても、なかなか自分自身でPR動画を撮ったり、ましてお金をかけて依頼するっていうのはなかなかハードルが高いじゃないですか。
そういう意味では、こっちとしては制作ができるし、会社の事業PRにもなる。作家さんとしても自分のPRができるから、まさにwin-winな感じで。何より私自身が楽しい!
どんどん繋がっていますね!
栗谷:
はい、非常に!
今のうちの会社の仕事が広がったきっかけを作った大切なコンテンツの1つですね。
やってみて意外だった、予想外だったことはありますか?
栗谷: 意外と言えば、いろんな作家さんに、例えばそれまで全く接点のない作家さんにコンタクトを取って、取材のお願いをしたりもしたのですが、誰一人嫌だという人がいなかったのが凄く意外ですね。
そうなんですね!みんなに求められた!
栗谷:
そうですね、求められているというより、まず「こういう趣旨で、こういう事でやりたいので、取材させてください」と説明をして、実際2時間くらいは撮影しますし、もちろんネットに上がる以上、全世界の人に見られるわけですよね。当然、何かしら抵抗があっても当然かなと思ったんですけど。。。
全然無かった。スケジュールや建物の事情で断られた方はいますけど、取材を嫌がって断られる事はありませんでした。それはすごく意外でしたね。
では、近いうちに再開を期待しても良いんでしょうか?
栗谷:
そうですね。ちょうど30本ぐらい公開して、内容的にもちょっとこうマンネリ化してきたのもあるので、今度は切り口をちょっと変えて、作家さんとかお店の方とか、いろんな人同士の対談動画なんかも作ってみたいなと思っています。
今後の益子をどうするべきか、とか、益子は今後どうなっていくのか、みたいな話って雑談レベルでは色々出てくるけど、外向けにざっくばらんに話す機会って実際無いじゃないですか。実際にカメラが回っているとこで人の本音を引き出してみたいなあって。
これは非常に共感しますね。今日の取材もそういう側面があるので。
栗谷:
とはいえ、綺麗に整えちゃうと、どうしてもこう、リアルとは違ってしまうというか・・・
綺麗にまとめただけの言葉って世の中には実際溢れ返っているので。
なんかこう、もうちょっと、生々しいことを色々聞きだしたいなっていう思いがあります。
それこそ手仕事な感じって言うんですかね。はい。その人の人となりとか、温もりとか、凹凸とかも含めて、そういう深いところまで見えるような取材をしたいですよね。
栗谷:
そうですね。それが、最初の話に戻ると、テレビの仕事をしていた時代だとどうしてもテレビの専売特許みたいな部分だったんですけど、最近は、個人レベルで色々発信できる時代なので。
そういうのを自分の会社のコンテンツとして、色々と作っていきたいなっていう展望はありますね!
栗谷さんの作陶の話もお聞きしたいと思います。
作品は細かい作業で手間がかかるものが多いですよね。織部の緑色が特徴ですよね!
栗谷: そうですね。いわゆる織部系の釉薬を使っている人は結構それなりにいます。そんな中でも自分なりの表現を心がけています。
特徴的な表現を伺ってもよいでしょうか。
栗谷:
益子焼というとまず食器をイメージされると思いますが、私自身は実は器以外の作品を作るのもとても好きなんですよ。
スピーカーもそうだし、オブジェ的な作品も昔はよく作っていました。
そういう方向性を突き詰めれば今とはまた違う人生になったんだろうなとは思いますが、正直それだとなかなか商売にはならないですからね。
焼き物の仕事って、定年退職がないじゃないですか。
はい、そうですね。生涯現役の方が多いです。
栗谷:
まして、焼き物だけで無理に生活を成り立たせようと思うと厳しいというか。そもそも、私は陶芸って純粋にビジネスとしては難しいものだと思っています。なので、自分なりの“焼き物との距離感”みたいなものは、別にみんなと一緒じゃなくてもいいかな、と。
今は会社の仕事が中心になっているので、いつかそっちが落ち着いたらまた焼き物にガッチリ向き合おうかと考えていますし、自分にとって今はそれくらい距離感がちょうど良いです。
色々できるから、幅が広いですね!
栗谷: いろんな働き方ができる時代なので。今40代後半ですけど、なんか最近すごく自分 がやりたいようにやれているっていう実感があります。そういう意味では今非常に楽しいですよ!
なかなかそうはいかない事が多いですものね。
栗谷: どうなんでしょうね?そういった意味でもいろんな人の生の声を聞いてみたいです。実際、焼き物で生計をたてていらっしゃる方もいっぱいいて、それはそれでもちろん素晴らしいことだと思いますが、「今の世の中で、実際どう?」っていうリアルな本音をね、すごく聞いてみたい気はしますね。
生の声ですね。同業でもあるからこそわかる本音トーク。楽しみです。
栗谷:
要は、私は“自分自身のやり方で何か物を作れて、楽しく暮らせればそれでいい派”なんです。
何かを作ることが出来ていれば、あまりジャンルにこだわりたくない。
映像制作をしていてもそれもやっぱりもの作りなわけです。それで仕事が成立するんだったら単純にそれで良い。
様々なものづくりを通して、そこから様々な世界を垣間見るころができる、人と繋がれる、っていうのはなによりの人生の糧になります。
会社自体もそのそういった流れの中から生まれたようなものですからね。
なるほど。
栗谷:
益子はそういう働き方や表現活動ができる環境が間違いなくある町です。理解があるというか。生活するにも都会のようにお金掛からないし。 まさに良いことだらけ。
最初の話に戻ると、だから益子が肌に合ったんでしょうね。
会社の仕事も、作陶も、アトリエ百景も、これから自由に伸びて地域の活性化に繋がっていきますね!
栗谷:
「アトリエ百景」に関しては、一応、百景ということで、100まではいかないとカッコつかない。。。頑張ります!
自分でもなんで100にしちゃったんだろうなと思いますよ。
これからも、素敵な映像が届くのを楽しみに待っています!
今日はありがとうございました。
会社として関わった益子焼販路拡大関連事業(ロンドン・台湾)