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株式会社仲山商事 代表取締役 仲山 貴士

2023.09.13益子のものが、海を越えて売れれば良いですよね。

益子で生きる、益子を活かす魅力的なヒトのご紹介、記念すべき第1回目は、株式会社仲山商事の代表取締役でいらっしゃいます、 仲山貴士(以下、仲山)さんです。よろしくお願いします!

仲山:㈱仲山商事の代表取締役をしております、仲山貴士です。よろしくお願いします。

社長業と、それから…

まずはご自身の簡単な略歴からよろしいですか?

仲山:年齢は46歳です。益子生まれ益子育ちで、18才まで益子に住んでいまして、そこから益子を出て。10年間、東京に行ったり海外に行ったりして。28才で益子に戻ってきて、仲山商事に入りました。それで40才で社長になりまして。7年目になりますね。

社長業の他にもなさっている事があると伺っていますが。

仲山:今年度の益子町の事業で、次世代経営協議会というものが立ち上がりまして、その会長を仰せつかりまして。

初代会長ということですね。
ちなみに、お休みの日って、どんなことをなさってるんですか?

仲山:休みの日は完全にオフですね。あのー、何もしてないことが多いですね。ゴロゴロと。あと、映画が好きなのでよく見ています。

祖父が始めて、父が広げた仕事

㈱仲山商事について、「ギフト商品を取り扱う卸問屋さんです」という風に社長からも日頃よく聞いています。改めて会社としての沿革を伺ってもよろしいですか。

仲山:えー、仲山商事は僕の祖父が創業しました。戦後、昭和22年かな。
祖父が戦争から帰ってきて、祖母と一緒に。まあ、創業とか会社経営とかそういう次元ではなくて。本当に、その日食うために一番身近にあった益子焼を仕入れて行商した。
そして昭和40年代初めに父が高校を卒業して、1年間東京の蒲田に修行に行って。それで19歳で帰ってきて、一緒に仕事を手伝い始めました。

修行というのは、問屋さんに入って行商の修行ですか?

仲山:ですね。それで、父はどこかのお寺で2週間断食して、覚悟を決めたと聞きました。本当かどうかわからないですけどね(笑)、そういうものなんだなって思いました。
それで、だんだん父が入ってきて益子焼だけじゃなくて色々な、ガラスの小鉢だとか、木製品とか金物とかいう風に、品種を増やしていったんですね。

年代で言うと昭和の40~50年代くらいでしょうか。

仲山:そうですね。その頃から結婚式にお鍋のセットとかお皿のセットとかコップのセットみたいな、セットものが引き出物として使われるようになって、そこから『ギフト』っていう世界に入ってきました。

今の御商売の礎ですね。時代に合わせて商品を選んでいったら、自然と『ギフト』たどり着いた、という風に聞こえますね。

仲山:そうですね。で、まあまあ順調に会社が育って、平成2年か3年ぐらいに、 物を直接渡すのではなくて、カタログを渡すという、『選べるカタログギフト』を作り出しまして。
それが結婚式でも売れて、デパートのギフト売り場でも扱い出して。一気に広がって行きました。

ちょうど時代のブームをしっかり取っていた。

仲山:そうです。世間でカタログギフトが認知されてきた、最初の段階ぐらいでした。

すごいですね。先見の明がありますね、お父様は。

仲山:仕事が好きでやってたんでしょうね。商売好きなので順調に来てたのかな、と。

平成初期の素晴らしい滑り出しですね。

仲山:平成の初めなので僕もまだ小学生でしたけど、「なんかお父さん、忙しいな」とは思いましたね、子供ながらに。
何と言うか、あんまり会わなかったですね。

会わなかった、とは?

仲山:小学校、中学校の頃はあんまり会わなかったんで、たまに会うと「お前、でかくなったな」って(笑)。

ずっと家に帰ってこなかった、と。

仲山:そうですね、はい。

ちょっと寂しい少年時代でした?

仲山:というか、悪ガキだったかな。あと、そうですね、よく怒られてた。

あはは。たまに会う親父に怒られて…って、昭和の親父って感じしますね。
それで、ご商売としては平成中期にどんどん向かってくのですね。
手がけたカタログギフトは、どういう風になって行きましたか?

仲山:元々は、宇都宮と水戸だけで、 結婚式の引き出物を卸していたんですけども、カタログギフトという商品を持って、一気に全国に広げて行きました。
いつ頃かな?平成10年ぐらいかな、その頃に百貨店とパイプの太い会社のOBの方に会社の顧問になってもらって、百貨店の売り場をどんどん取って行った。

すごい事業拡大ですね。

仲山:そうですね。それまでほんとに北関東しかやってなかったのが東京から東北、北海道の方に広げて行ったっていう時代。

北海道まで!そうなんですね。
平成の終わりの頃までずっとそういう勢いがあったんですか。

仲山:そうですね、はい。

ところがその後、コロナ禍となる。

仲山:という事です。

悪夢のような山積みのキャンセルのファックス

コロナ禍の時、ブライダル産業が大きな打撃を被ったと、たくさんニュースになりました。御社も例外ではなかったと思いますが、そこに至る御社の状況というのはどうだったのでしょう?

仲山:あれは2020年の2月からだったんですよ。2020年の2月22日。2が並んだ日で、3連休の頭の土曜日でした。
その日、大安だったんですよ。ものすごい量の結婚式の引き出物の注文があって。その月単月で見るとブライダルは過去最高の売り上げ。これはすごい年が始まるなと思った。
ところが、その3連休が明けた2月の最後から、大量のキャンセルのファックスが入りまして。今まで入っていたブライダルの注文がほとんど無しになった。で、もう3月から、本当に天国から地獄に落ちたっていう感じですね。

具体的にはどれぐらい無くなったのですか。

仲山:結婚式の売り上げは、多分8割ぐらい無くなりましたね。
元来春は挙式が多いんですよ。それがファックスを見たら無くなるのがわかっちゃったんですよね。

大量の挙式キャンセルのファックス。もうどうにもならない状況ですね。

仲山:それで僕はとにかく会社のお金を切らしちゃいけないって思い、すぐ資金繰りの方に走って。
もう本当に、キャッシュがなくなったら終わりなので。既存の銀行さんを全部回って借りられるだけ借りて、新しく政府系の金融機関にも行って借りられるだけ借りて。それを1年以上やってたと思います。

コロナ禍後半-気づいていなかった自社の技術に活路

仲山: 会社にお金入れるのはいいんですけど、ただ待っている訳にはいかないので。今の状況で出来ることは何だろう、と考えていました。
それで始めたのが物流業務です。物流部門を立ち上げて、うちの商品が動かなくても、取引先の商品が動けば、そこに仲山商事が入って行って、物流のサービスを行った。

それは今まで培った経験で?

仲山:そうですね。ギフトをずっとやってきたノウハウです。
大量に商品を受け入れて、ピッキングして、個別に配送するサービス。場合によっては、ギフトの梱包もしますよ、良いラッピングかけますよという流通加工。ここをサービスとして売り出して、いい形になったんです。

ブライダルギフトという商品だったはずが、実は強みは物流にもあったのですね。

仲山:そうですね。『あ、うちのこの技術って売り物になるんだ』って、改めて思いました。

それはすごい気付きですね。

仲山:いやもう、必死だったからでしょうね。
また、タイミングよく益子町の陶器市(とうきいち)がWEB開催で行われていたんです。2020年の5月から始まったWEB陶器市の一回目は、当社は一切かかわってなかったんですよ。でも、後で聞いたら結構みんな配送が大変だったという話を聞いて。
詳しく聞いたら、うちでいつもやっていることだな、って思ったの。

これは自社の方ができる事が多いぞ、と。

仲山:ですね。それで「じゃあ11月(次回)はうちが手伝いますよ」と、WEB陶器市の物流だけやらせてもらいました。
1万6千ピース動いたのかな。 それを全部うちでピッキングして、お客さん毎に梱包して出して。
それでね、破損とかの配送事故が…、えーと、3件。
本当は完璧にやりたかったんですけども、3件出しちゃったなって思ってたら…。

え?1万6千分の3ですよ?

仲山:そう。やっぱり感覚がちょっと違いますよね。結婚式の商品をお届けするって、絶対に間違いがあっちゃいけない世界ですから。

なるほど。1万6千分の3でも、御社にとっては大きな数字だったと。

仲山:お客様にとっては1分の1なので。
それで、配送事故はありましたが、ある程度評価いただいて。その後継続してWEB陶器市の物流をやらせてもらいました。そうしたら今度、陶芸作家さんから物流の依頼を直接いただくようになって来たんです。
この辺で、「あ、これはちゃんと商売になるな」と確信しました。

仲山商事
仲山商事
仲山商事

仲山商事の魂のこもった一品

物流とは別の話で、近年若手社員たちの発案で、カタログギフトに新しい動きがあったと聞いています。その辺りの商品の開発について、伺いたいと思います。

仲山:そうですね。うちは30年以上、「本で選べるカタログギフト」を作ってきました。
そんな中2018年に若手社員がアイデアを出してくれて、『FAVOR(フェイバ)』という、カードで渡すギフトを作ってくれました。これがコンパクトで便利なんです。

カードに付いてるQRコードを読み取って、ネットで申込みをするカタチですね。
今まで冊子になっていたものが、デジタル化されて、カードの中に詰まっている、そんなイメージですよね。

仲山:コロナの中でも、この商品は売り上げが落ちなかったんですよ。結婚式がギュッと減っている中でも、受け入れられていた。「あ、この商品、これからの仲山商事を支えてくれる商品なんだろうな」という感覚を持ちました。

業界としても新しかったのですか?

仲山:そうですね。1社2社ぐらいはライバル会社さんでも扱っていましたが、割と早い段階で発売していきました。

そのFAVORは、社内でのムーブメントというか、変革を起こしたと聞いています。

仲山:ちょうどコロナ禍で、売り上げが思いっきり落ちている時ですけれども、商品別で見るとFAVORは頑張っていた。そのタイミングで、商工会から「栃木県 チームイノベーションプログラムに参加しませんか」っていうお声がけをいただいたんです。
その時は、「とりあえず参加します」っていう程度だったんですけど、その中で、仲山商事の歴史を掘り起こすというプログラムがありまして。
それをやってみた時に、問屋とはいえ自社商品があるっていうことと、色々な過去と歴史があって紡ぎ出された今の商品がFAVORなんだということが改めて解って。

う~ん、良いですね。歴史から出来た商品!

仲山:そのプログラムの中では、各社が一品の商品を選んでブラッシュアップする内容だったので、仲山商事の一品はこのFAVORにしようと決めて。
若手社員と色々掘り起こしして、一緒に受講した他9社の仲間の人たちのアドバイスをもらいながら、商品の品揃えを充実させて。FAVORを色々作り変えたんですね。

なかなか骨太なプログラムで、大変でしたよね。でも本当に楽しかったです。

仲山:そうですね。すごく良い時間でしたね。1年間、短かったです。

仲山商事
仲山商事
仲山商事

一品から始まる社内イノベーション

私にとっては社員さんと一緒にプロジェクトをやれたっていうことが楽しく得難い経験でした。
社員さんはその後いかがですか?

仲山:そうですね。今も、商品企画と営業とは本当に中心になってやってくれていて、 近い将来にはそれぞれの部署のリーダーになる人間かなという風に思います。

すごいですね。社員さんの意識も変わったんですね。

仲山:そうですね。元々その若手で作ってくれた商品なので思い入れはあったでしょうけども、さらに強くなったんだなっていうのはわかりますね。
何かあるとその若手社員の方から、「社長、今ちょっといいですか?このカード、こうしたいんですけど」とか言われるんです。「ちょっとこの問題がありました」とか。今日もちょうどそんな話があったんですけど。

すごいですね。社員さんからの前向きな解決の提案ですね。

仲山:そうですね。やっぱり自分たちで作るものって情が入るし、スピードが上がるっていうのはよくわかります。

歴史の中から、みんなで拾って、みんなで生み出して磨いたっていうところに、愛もあるし、次への活力もありそうですね。
この話題、ちょっと語り出すと止まんないですね(笑)。

社外の取り組み 若い経営者に集まって欲しい

名残惜しいですけど、次に行きたいと思います。
社長業以外の取り組みをご紹介いただけますか。

仲山:はい。益子町次世代経営協議会ですね。
ちょうどWEB陶器市の区切りの時に、町役場の産業建設部長の池田さんがここに来てくださって、お話出来たんですね。
うちもこのWEB陶器市があって、 コロナ禍っていう大ピンチを乗り越える会社のイメージができましたと。でもきっと、これからも色々な予期せぬことが起こりますよね、という話をしていて。
今回、せっかく色々と経験をしたので、僕よりも下の世代の経営者、後継経営者に、何かを共有できたらいいな、と。
例えば、資金繰りで困ったとか、他にも色々ね。そういう大変な時に何でも役に立てればいいかなって思います、という様な話し合いがあったんです。

なるほど。

仲山:そこで、池田さんも益子で働いていて感じた中で、 やっぱり若手がもっと輝く場を作りたいという想いがあるという事だったので、じゃあ僕ができることがあればなんでも協力しますよってことで。
池田部長も行動派なので。役場の中ですぐに取りまとめてくださって、今年度の事業としてスタートしたというところです。

セミナーなどとても充実してますよね。3ヶ月に1回ですか。すごく意欲的ですよね。

仲山:そうですね。本当に若い人にたくさん集まっていただけたらなと思っています。

今度は僕がやる番

最後になりますが、ご自分のことも含めて、今後について伺いたいと思います。
今、ご自分として1番使命感を持って取り組んでいることは、どんなことですか。

仲山:僕自身も28才で10年ぶりに益子に帰ってきて。意外と、地元だけれどよく分からないっていうところを、当時の40代ぐらいの町の大先輩たちに色々連れ出してもらって話してもらったり、すごく面倒見てもらったんですよね。
今でもその方たちとお付き合いしていますし、なんかこう、「益子に帰ってこれたな」っていう風に思ったんです。
今僕が40半ばなので、多分こういったことを今度は僕がやる番なんだろうなって思っているんですよ。
ちょうど今、20代から30代前半ぐらいの後継者とか。もう経営者になっている人たちもいますよね。そういう人たちに、例えば人脈を共有したり、困った時に相談に乗れる自分でありたいなと思いますね。

益子のものが海を越えて欲しい

今後、この益子地域全体が、ご自分が関わっていく上で、どうなって欲しいですか?

仲山:やっぱり、益子のものが、海を超えて売れるといいですよね。

海を越えて売れる、ですか!

仲山:そうですね。世界中で売れる。
別に益子焼きだけじゃなくてね。益子って、良いものたくさんあるので、それらがもっと海を越えて行って欲しいなあ。

これからの時代、本当に重要な発想ですね。そして仲山さんに出来る事もきっと多い。大切なキーワードをいただきました。
本当に今日は貴重なお時間いただきましてありがとうございました。

仲山:ありがとうございました。

  • 聴き手:加藤 拓
    益子町商工会 経営指導員