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㈲陶庫

2024.1.24真の豊かさを提供できる1つの道具として、
益子焼があると考えています。

㈲陶庫
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本日は、益子焼販売店が多く立ち並ぶ、城内坂の入口にあります、大谷石と歴史を感じさせる商家の佇まいのおしゃれなお店、 陶庫さんにお邪魔して、社長の塚本倫行さんにお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。

塚本:はい、よろしくお願いします。

いろんな変遷を辿って 今がある

㈲陶庫

早速ですか、陶庫さんのこれまでの歴史についてお聞きしたいと思います。

塚本:はい、陶庫自体は今年2024年が開業50年を迎えます。1974年10月8日に開業しています。
陶庫の前身となると、株式会社つかもとの創業者である塚本利平の次男の菊次郎が、僕の曾祖父にあたります。
明治31年(1898年)に、益子町の内町地区、現在の塚本金物店さんの場所に塚本菊次郎商店を独立して開業しているので、前身に遡ると今年が創業125年になります。

すごい歴史ですね。

塚本:最初は、呉服屋をやっていたみたいです。

呉服屋さんからだったんですか!

㈲陶庫
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塚本:その後、大正末か昭和の初期に、現在の城内地区に移って、肥料商を始めました。
今の木造の建物は、その時建てた建物ですね。だいたい100年弱ぐらいの建物です。
大正時代には、益子の北地方で採掘される芦沼石が益子焼の釉薬に使用されることから、芦沼石の販売も行っている記録があります。 焼き物の材料も結構販売していたみたいです。昭和初期の頃の帳面が残っていますが、郡山から盛岡あたり、あと、西は新潟辺りまで、芦沼石を売っていました。
益子焼製陶業にも焼き物の材料を販売した記録は残っていますので、戦前は肥料商と、焼き物の材料の販売で、栄えていたみたいです。
戦後は農協ができたりして、肥料商は斜陽の商売になってきて。
昭和30年代から40年代くらいまで、何か新しい商売が必要じゃないかということで、縫製工場とか、観光ぶどう園なんかもやっていました。
昭和40年代になり益子が民芸ブームになって、観光客が来るようになって、城内地区で蔵を活用して商売を始めたというのが陶庫の始まり。

㈲陶庫
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なるほど、益子焼っていうもののかなり認知度が上がって、需要が増えてきたころの話しって言うことですね。

塚本:まあ、益子焼窯元共販センターさんができて、人が来るようになったということですかね。昨年、ヤマニ大塚さんも50周年だったし、城内坂のお店は大体、昭和40年代から50年代に開業したと考えていいと思います。

なるほど。

塚本:そして、30数年前に城内坂の都市計画に伴い、昔の肥料店の店舗も全て焼き物の店舗に改装して、現在に至ります。

そうなんですね。いろんな変遷を辿っているってことですね。

㈲陶庫

真の豊かさを求めて

今、社長さんは何代目ですか。

塚本:4代目になります。

経営方針であったり、 取り組んでる事などを聞かせていただきたいと思います。

塚本:陶庫のブランドコンセプトは「真の豊かさを模索する」そして、コーポレートミッションが「私たちが、共に生きる世界を目指す」。
自分だけが良ければ良いという時代はもう確実に終わっていて、みんなで、一緒に。
これは人類だけじゃなくて自然も含めた上で、共生するというのがミッション。
真の豊かさを模索するという部分は、益子焼や陶磁器が生活の中で果たす役割っていうのを考えた時、例えば、今までの経済効率だけを考えれば、もちろん益子焼より 100円ショップの方が安いし、割れないし、機能的に優れているかもしれません。
しかし、人間がそういう経済効率だけを求めていると、人間らしさや個性はどんどん失われていく。
その中で真の豊かさを提供できる1つの道具として、益子焼があると考えています。
益子焼を使っていただくことによって、経済的じゃない、精神的な豊かさを感じてもらいたいと思っています。
そのような考え方で、今は焼き物の製造事業も行っています。
製造事業の道祖土和田窯は、「用があって形がうまれ、形があってはじめて美が具わる」というブランドコンセプトで展開しています。これは現在の道祖土和田窯の始まりでもある合田好道の言葉なんですけど・・・。

㈲陶庫
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民芸でよく使われる「用の美」(日用雑貨を作る手仕事に美しさを感じ取ること)の事ですか?

塚本:用の美には近いけどちょっと違うかな。
島岡先生も仰っていましたが、合田好道は民芸の求道者だと称していました。先ほど言ったように、経済性を考えれば、益子焼である必然性はほとんどありません。
でも益子焼の歴史などを踏まえた上で、いかに益子焼が人間の生活の精神的な豊かさを埋められるかを提案することが、陶庫の役割で、道祖土和田窯は、あくまでも芸術作品ではなくプロダクトとして、形が生まれて、使って初めてそこに美しさが具わるということを提案しています。

倫行さんは、社長になられて、今どれぐらいですか?

塚本:15、6年です。

社長になられた時から、ブランドコンセプトやミッションはあったのですか?

塚本:いや、最初はやんわりと企業概念として真の豊かさを模索するっていうのがありました。
3年前に、定年退職者や新入社員の入社などのタイミングで組織変革を行いました。それから社員の人たちと話し合って明確になりました。

社員さんに共有されているのですね。
陶庫さんは、伝統的な焼き物から、新しいもの、その他にもいろんな雑貨もトータルに販売されていると思うのですけど、商品へのこだわりとか、顧客のサービスとか、どのように取り組んでいらっしゃいますか。

塚本:元々、作家から仕入れて販売する販売店でしたが、 バブル期から、和陶器ブームみたいなのがあった。1996~7年が、益子焼業界の売上高も93億円くらいありました。
それが今は19億円くらいになっているけど。その頃はとにかく売れればなんでもいいみたいな状況だった。

作れば売れる時代ですね。

塚本:良いことばかりではなくて、益子の中でも、その時代にいろんな良い制度が無くなってしまいました。
例えば、昔は作家さんが「窯出し」をしたら、販売店が窯へ仕入に行く。その中にもちゃんとその販売店同士の暗黙のルールがあって、店の在庫のために注文するとか、そういうのは一切ありませんでした。
それが何でも売れるような状況になって、例えば、本来製造側の窯元だったところも仕入れれば売れるっていう時代になってしまいました。自分で作るより仕入れた方がいいとか。
そうなると、注文が第一になってしまって、もう以前のような「窯出し」は無くなってしまいました。

(あいづち)

塚本:僕はそれにちょっと疑問を持って。益子の場合、土が採れたり、益子町の 町木にもなっている赤松が薪の原料になったから焼き物産地になった、という必然性がある訳です。
それをもう一度見つめる想いで、2007年に「和田窯」と統合し、「道祖土和田窯」として自社製品を作り始めました。益子の素材を中心としたプロダクトを新しくやっていこうという運びになりました。

自社ブランドを立ち上げたって事ですね。
道祖土和田窯は温故知新の発想に近い ですね。一番隆盛を誇った時代の、その前にあったものをもう1回掘り起こして作ったと。

塚本: 元々、道祖土和田窯の前進である合田陶器研究所の社長を先代の社長である父が務めていました。2000年に合田先生が亡くなって、2001年に合田陶器研究所は解散したのですが、どうにか合田好道の足跡を伝えていきたいという想いがから立ち上げました。
当時、合田陶器研究所の職人さんが生産をしていたので、和田窯ではなく、合田窯ではないか?と言われることも結構多かった。
その合田さんに一番怒られながらも一番傍で支えていたのが、和田安雄という人であり、職人としての和田さんの名前を後世に伝えようということで、「道祖土和田窯」というブランド名で立ち上げました。

㈲陶庫
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和田さんは合田さんのお弟子さんって事ですか?

塚本:弟子ではないかな。もう職人ですよね。合田陶器研究所が創設する前から最後までずっと合田さんの元にいたので。

なるほど。

TOKO CLUBで作家と対談

会員制のTOKO CLUBを作って、今年2階を改装して会員さんに提供するっていう取り組みを始められましたよね?

塚本:TOKO CLUBの開設前から、 顧客管理は行っていました。DMは多い時には2500通ぐらい出していましたが、昔はアナログなので、お客様が何を買ってどうだとかいう管理は非常に難しかった。
2年前にスマートレジを導入して、ECプラットフォームのShopifyとの連携やデジタルの入店管理システムとも連動して感覚値ではなくデータに基づいた店舗体制となりました。IT化に取り組めたことで、お客様の情報をより詳細に管理することができるようになり、会員制サービスを始めることができました。一昨年の11月から始まって、約1年で、1000人以上のお客様にご登録を頂いています。昔はDM送るのにも通信費かかったけど、今はもう、メールマガジンやInstagram、LINEなどが中心です。

いわゆるファンクラブが動き出したのですね。

塚本:ファンクラブというよりはコミュニティクラブと位置づけています。陶庫が中心にはあるけれど、益子、民芸、陶器にまつわることや、それ以外の様々な切り口でブランドコンセプトを探求するイベントなどを会員の皆さんと一緒に作っていく会員制のコミュニティクラブです。
作家さんとの交流の場を作ったり、陶器市の際は城内坂を見渡せるスペースの「NIKAI」で休憩できたりと会員様限定の企画を行っています。
年会費などは無料なので、いつでも入ってもらえれば嬉しいです。

1回やると何人ぐらいいらっしゃるんですか。

塚本:イベントによっても随分違うけど、例えば今年は今度お茶会が3月3日にありますが、30人以上は来ます。

すごいですね。集まってどんなことをされるんですか?

塚本:TOKO CLUB会員様限定のイベントはTOKO CLUB EVENTSとして会員様へ毎月ご案内をしています。
今までは、展覧会を行う作家さんと僕のトークセッションや会員の皆さんと生け花ワークショップや作家さんの工房で手びねりで器を作っていただき、作家さんの薪窯で焼くなど、陶庫ならではのイベントということをTOKO CLUB EVENTSのコンセプトとして企画しています。
その他にも会員様以外のお客様もご参加いただける、金継ぎ教室(割れた焼き物を修復)をやったり、ワークショップをやったり、そういうイベントを年に7,8回はやるのかな。

素晴らしいですね。益子焼を中心にしたとても良い時間になりそうですね。

㈲陶庫
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50周年を迎えて新たな展開を

今後について考えている事は何でしょうか。

塚本:経営的な問題で言うと、より販売力を強化していくことです。2年前に道祖土和田窯のリブランディングを行いましたが、受注に対して生産が追いつかない状況が続き、戦略的に卸先を絞ってきました。
それまでは少量ですが、日本全国の取扱店で取り扱って頂いていました。
卸先を絞ったことで、自分たちでお客様へ直接価値を伝えて行く必要があります。

そうですね。

塚本:もちろんリスクはありますけど、ポップアップショップのような展開をしていこうというのが、今年の目標のひとつです。

それは違う地域に、例えば都内とか?

塚本:今年、1回は都内で開催する予定です。夏から秋ぐらいにかけて。

後継者の方が中心でやっていくような感じでしょうか。

塚本:そして、今年の10月8日で50周年を迎えるため、年間を通して50周年企画を行う計画で社員と話しています。

忙しい1年になりそうですね。

塚本:そうですね。

50周年企画楽しみにしています。本日は、お忙しい中、貴重なお話しありがとうございました。

  • 聴き手:谷島 賢一
    益子町商工会経営指導員