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こうじんや

2026.02.02「正解は自分で作る」こうじんや櫻井氏のこだわり

栃木県益子町、城内坂。陶芸の街として名高いこの通りに、しなやかな強さを秘めた店があります。
商工会指導員として長年寄り添ってきた大塚氏が、「こうじんや」の入口を入ると、店主の櫻井逸郎氏がいつもの柔らかな笑顔で迎えてくれました。
店内には土の温もりを感じる器たちが、櫻井氏の確かな審美眼によって心地よい距離感で並んでいます。

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1. 「工人屋」から「こうじんや」へ:名前と創業に込めた想い

こうじんや

屋号の変遷は、単なる名称の変更ではありません。そこには、顧客への配慮と、時代に合わせてブランドを定義し直す柔軟な経営判断が刻まれていました。

大塚: 今はひらがなで「こうじんや」とされていますが、もともとは漢字だったんですよね。

櫻井: (店の入り口を懐かしそうに見つめながら)ええ、以前は「工人屋」と書いていました。「工人」は職人や匠を意味し、益子では特にろくろ職人さんへの敬意を込めた言葉だったようです。父か母が、職人の技を大切にしたいという想いで付けたのでしょう。

大塚: それをひらがなに変えられたのは、お母様の代でしたか。

櫻井: そうなんです。ある時、「工人」という言葉が中国では特定の階級を指す強いニュアンスを含んでしまうと指摘されたことがあって。母はそれを聞くと「それなら誰にでも優しく伝わるひらがなにしよう」と、すぐに変えたそうです。

大塚: お母様は、非常にパワフルな方だったと伺っています。

櫻井: (笑いながら)母は水道工事業を営んでいた父の事務員だったんですが、事務職に収まる器じゃなかった。男社会の益子の窯業界で、当時は数少ない女性経営者として、随分と歯を食いしばって(奥歯を噛み締める仕草をしながら)頑張ったようです。「お姉ちゃん」と軽んじて呼ばれるような悔しい思いもしたそうですが、だからこそ「見返してやる」という強い反骨精神が店のDNAになりました。水道屋の事務所が、いつの間にか焼き物屋になっていた……そんな型破りな始まりだったんですよ。

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2. 「必需品」から「物語」へ:変化する益子焼の価値

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かつて焼き物は、割れたら買い足す「生活必需品」でした。しかし、100円ショップや大手雑貨店が低価格で高品質な食器を供給する現代において、その戦略的意味合いは劇的に変化しています。

大塚: 昔と今では、お客様の買い方も全く違いますか?

櫻井: 180度違いますね。昔は家族全員分の5枚、10枚をまとめて買うのが当たり前。白いビニール袋を両手に重そうに抱えて帰るのが、益子の日常風景でした。でも今は違います。

大塚: 必要最低限のものは、どこでも安く買えますからね。

櫻井: そう。お皿がないから買うのではなく、食卓に「お気に入り」を一つ置きたいという趣味や嗜好の領域、いわば『嗜好品』に変わったんです。そうなると、お客様はモノそのものだけではなく、「物語」を求めてお金を払うようになります。

大塚: 「物語」を売る、というのは具体的にどういうことでしょうか?

櫻井: SNSの影響も大きいですが、作り手がどんな人物で、どんな苦労をしてこれを作ったのか。その人間性まで含めたストーリーを提示できなければ、今の時代、お客様の購買欲を刺激することはできません。単なる観光のついでではなく、物語に共感し、「この人から買いたい」と思ってもらうこと。それが生き残るための唯一の道なんです。

3. 新幹線箸置きが繋いだ縁:逆境をチャンスに変える力

東日本大震災やコロナ禍。外部環境の激変を、櫻井氏は「自社製造」への転換という攻めの姿勢で乗り越えました。

こうじんや
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大塚: 「新幹線箸置き」のヒットは、まさにピンチをチャンスに変えた象徴的な出来事でした。

櫻井: 震災後、JR東日本さんからお話をいただいたんですが、当初は作家さんに打診しても「採算が合わない」「手間がかかりすぎる」と断られてばかりで。それなら自分でやるしかない、と腹を括りました。

大塚: 凄まじい反響だったと聞いています。

櫻井: (苦笑しながら)最初は3ヶ月で600セットの予定が、いざ発売したら初日で完売。結局、10日で600セットを焼き続ける日々が2ヶ月半続きました。まだ熱い窯を無理やり開けて、手袋が燃えそうになりながら(「ちんちんに熱い」と言いながら手を振る動作)商品を取り出したあの壮絶な現場は忘れられません。

大塚: ライセンス取得には、足利銀行の「コレトチ」との連携も大きかったとか。

櫻井: ええ。ドクターイエローなどは、個人では契約のハードルが高すぎたんです。T4がJR東海、T5がJR西日本の編成で見分けがつく形で作れるなら片方の会社と契約して商品化許諾料を支払えば良いのですが、見分けがつかない場合はそれぞれの会社と契約して、それぞれの会社に試作品を送って審査してもらい、許諾料をそれぞれの会社に按分してお支払いしなければならないなど、個人では対応しきれない複雑な条件がありました。何より、後払いが認められないなどの信用の壁もありました。そこを銀行が間に入り、会社同士の契約として「信用」の盾になってくれた。おかげで「鉄道ファンを焼き物ファンへ」という、業界を超えた顧客開拓が実現できたんです。

4. 正解を自分で作る:プログラマーから商人への進化

櫻井氏のユニークな経歴は、現在の経営哲学に深い彩りを与えています。かつてプログラマーとして「0か1か」の世界にいた彼が辿り着いた、商売の極意とは。

大塚: 元プログラマーという経歴は、今の仕事にどう影響していますか?

櫻井: 正直、最初は苦しみました。プログラムは書いた通りに動く「正解」がありますが、商売や接客は曖昧さの塊です。さっき言ったことと5分後に違うことを言ってくるお客様だっている(笑)。最初は「何が正解なんだ」とデータや論理で解決しようとして、強いストレスを感じていました。

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大塚: そこから、どうやって現在の境地に?

櫻井: 「正解を探す」のをやめたんです。「選んだ道を、自分で正解にしていくしかない」と気づきました。失敗はエラーではなく、新しい「発見」だと捉える。僕は自分を「ひねくれ者」だと思っていますが、誰かが引いた既成の道を歩くのはつまらない。自分の直感を信じて、道なき道を正解に塗り替えていく方がずっと楽しいんです。

大塚: その「しなやかさ」こそが、今の時代の最強の武器ですね。

櫻井: ありがたいことに、益子という街は、多少尖っていたりひねくれていたりしても、それを排除せずに「やってみれば?」と許容してくれる懐の深さがあります。この「曖昧さを許す寛容さ」の中で、ひねくれ者なりに選んだ道を正解にしていきたい。それが、この街で生きる醍醐味ですから。

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5. 結び:店主・櫻井逸郎氏からのメッセージ

対談を終えると、店内に並ぶ器たちが、単なるモノではなく、櫻井氏の人生そのもののように見えてきました。益子という、多様性を受け入れる街で磨かれたその視線は、どこまでも温かい。

「完璧な正解なんて、どこにもありません。だからこそ、自分の『好き』を信じて選んだものを、自分の力で正解にしていけばいいんです。私たちの器が、皆さんの食卓にほんの少しのワクワクと、自分なりの正解を楽しむきっかけを届けられたら。そんな幸せなことはありません。ぜひ、あなただけの『正解』を見つけに、遊びに来てください。」
益子の風土が育んだ、尖っていることを恐れない自由な精神。櫻井氏の言葉は、迷いの中にある私たちの背中を、優しく、けれど強く押してくれました。

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