益子で生きる、益子を活かす 
扉を開けると、木の棚に並ぶ絵本の背表紙が、色とりどりのモザイクのように目に飛び込んでくる。
商工会の指導員である谷島氏が「とっても可愛らしいお店ですごいワクワクする」と思わず声を上げたのも頷ける。
ここは、店主・田中さんの想いが隅々まで行き届いた絵本と児童書の専門店「たね書房」。
これから始まる対話は、一冊の本が子どもの心にまく「種」と、その成長を信じる店主の深い愛情の物語だ。


話題の新刊が平積みされ、売れ筋ランキングが書店の顔となるのが一般的ないま、たね書房はまったく異なる価値観で本と向き合っている。
時代の潮流に左右されない、普遍的な価値を持つ本だけを丁寧に選び抜くという哲学だ。
その姿勢は、「一押しの商品は?」と尋ねたことから鮮明になっていく。
田中:
店にある本は、約1,500冊すべてがおすすめと言えるのですが、特に力を入れているのが「ロングセラー」や「定番」と言われる本たちです。
昔から保育園に揃っていたり、おじいちゃんおばあちゃんの家にあったりしたような、そんな絵本が中心です。


谷島: なるほど、誰もが一度は目にしたことがあるような安心感のある本ですね。
田中:
そうですね。ただ、そうした本は今、大きな書店に行くと逆に埋もれてしまって見かけなくなっているんです。
新刊が次々と出る中で、「昔からあっていい本」なのに少し影に隠れてしまっている。
そうした本たちにもう一度光を当てて、皆さんにその価値を伝えたいと思っています。
谷島: そうした選書には、何か特別な想いがあるのでしょうか。
田中:
新しいものが次々と宣伝されて、どうしてもそちらに目が行きがちですが、私は「人間の大事なものって変わらない」と信じています。
定番と呼ばれる本には、その変わらない大切なものが詰まっているんです。
スマートフォンやゲーム機が子どもの遊びの中心となりつつある現代。
たね書房は、あえて「アナログ」な体験にこだわり、その価値を提案する。
田中:
選書の哲学とも繋がりますが、「10年後、20年後、50年後も違和感なくずっと大事にとっておけるもの」を揃えることを大切にしています。
絵本だけでなく、読み物やアナログゲームも同じ基準で選んでいます。
谷島: アナログゲームも置かれているのですね。
田中:
はい。電子ゲームとは違って、「家族でできるアナログゲーム」は、みんなで顔を合わせて一つのものを囲む時間を作ってくれます。
そうやって「生活に密着して楽しめる」体験を提案していきたいんです。
谷島: 子育て支援にも力を入れていると伺いました。
田中:
「大げさなものではないですけど」(笑)。私自身、保育士の資格があり、子育ての経験もありますので、お子さんの年齢や発達、興味に合わせた本をお勧めすることは常に心がけています。
よく「絵本は何歳でもいい」と言われますが、私は「この年に是非読んで欲しいものっていうのはあって」、その時期に一番心に響く一冊を届けたいと思っています。
多くの事業主にとって、個人的な原体験はビジネスの揺るぎない核となる。
たね書房の店主・田中さんにとっても、その始まりは自身の人生における大きなターニングポイント、すなわち「子育て」という経験の中にあった。もともと漠然と本屋をやりたいという夢があったという田中さん。
しかし、当初イメージしていたのは、自身の小説好きからくる「大人の本のお店」だったという。
谷島: それが、どうして絵本のお店に?
田中:
やはり、自分に子どもが生まれたことが一番の転機でした。
書店員として絵本を担当した経験はあり、商品知識はあったつもりだったのですが、親として我が子に読み聞かせをしてみて、初めてじっくりと絵本と向き合ったんです。
その時、「これはすごいものだなっていうことを感じてた」んです。
谷島: 親になったからこその発見があったのですね。
田中:
はい。私には知識があったから、たくさんの本の中から子どもに合うものを選べました。
でも、知識のない親御さんが「大量の本から子供に合う本を選ぶってかなり無理なんじゃないか」と強く感じたんです。
だからこそ、「この本を読んで欲しいなっていうことを提案できるお店」が必要だと確信して、自分でやろうと決意しました。
開業は2021年の春。取材時点で、お店は4年目を迎えていた。
一人の母親としての実感から生まれた強い使命感。その想いは、お店の名前そのものに、美しい願いとして込められていた。
店名の由来を尋ねると、田中さんは微笑みながら語り始めた。
田中: 絵本は「頭が良くなる」とか「好き嫌いが治る」といったキャッチコピーで語られることもありますが、私は絵本が持つ一番の良さは、すぐに効果が出るものではないと考えています。
谷島: と言いますと?
田中:
読んだ時は目に見える効果がない。
でももう種が心に埋まるみたいに、静かにそこに在り続ける。
そして、「いつか分からないけど、ポッと芽が出る」。
絵本はそういうものだと思うんです。
すぐに目に見える効果を求めるのではなく、心の中に何か良いものが残り、いつかその子の力になってくれる。
そんな願いを込めて「たね書房」と名付けました。
谷島: 素晴らしい由来ですね。心が温かくなります。
田中: そう感じていただけると嬉しいです。
たね書房の取り組みは、読書という文化そのものを地域に根付かせ、子どもたちの成長を見守るための具体的なアクションを起こしている。
その活動の一つが「ストーリーテリング」だ。
不定期に開催している「お話会」の中でも、特に力を入れているという。
谷島: ストーリーテリング、ですか。読み聞かせとは違うのでしょうか。
田中:
全く違います。読み聞かせは絵本を、紙芝居は絵を見ながら楽しみますが、紙芝居には「芝居」という言葉の通り、演技や演出の要素も含まれます。
一方、ストーリーテリングは、語り手が覚えた物語を、絵本も何も持たず、「何もないこの状態で」語るんです。
子どもたちは耳から聞いてそれぞれ想像して物語の世界を楽しみます。
谷島: なぜその活動に力を?
田中:
親御さんや同業者から「絵本は売れても物語が売れない」、つまり文字だけの本になかなか移行できないという悩みをよく聞きます。
小学校に入ると急に「自分で読みましょう」となりますが、絵のない本を目で追いながら内容を理解するのは、子どもにとって非常に大変な作業なんです。
谷島: 確かに、そこで読書が苦手になってしまう子も多そうですね。
田中:
はい。だからこそ、その橋渡しとして「耳からの読書」体験が重要だと考えています。
ストーリーテリングを通じて、「字だけの本だけど中に入ってるのはこんなに面白い世界が詰まってってるんだよ」ということを伝えたい。
理想は想像力が豊かになる小学校中学年の子どもたちですね。
この体験が、いつか自分で本を手に取るきっかけになってくれればと願っています。
情熱を事業にすることは多くの人の夢だが、その継続には現実的な課題が伴う。
田中さんはその壁を乗り越えるための模索を続けている。
これまでの苦労を尋ねると、田中さんは率直に語ってくれた。
田中:
正直に言うと、全然儲からないことですね(笑)。
もちろん覚悟の上でしたが、創業当時は事業として採算が取れるようにと考えていました。
でも、お店の由来の話のように、私が届けたい本の性質を考えると、売ろう売ろうとすると大切なものを見失ってしまう気がして。
谷島: 理想と経営の葛藤があったのですね。
田中:
はい。それで今は、別の仕事をしながらお店はスローペースで続ける「細く長く」というスタイルに落ち着きました。
経営的には大変ですが、精神的には今すごくいい状態なんです。
谷島:
すごく新しい働き方に聞こえます。
別の収入の柱を持ちながら、ご自身の想いが詰まった事業を進めていくというのは、我々も支援の中で非常に重要だと学んだばかりです。
新しい道を歩いてらっしゃると感じます。
田中: ありがとうございます。まさに、好きだからできるっていうのもあるし、だから好きでいられるっていうのもある。このバランスが、今の私には合っているのだと思います。
谷島: 最後に、この記事を読んでくださっている皆さん、特に子育て中の方へ、田中さんからのメッセージをお届けします。
田中:
子育て中は、毎日が本当に大変ですよね。
たくさんの情報があふれる中で、「どんな本を子どもに与えればいいんだろう」と悩んでしまうこともあるかもしれません。
でも、どうか難しく考えすぎないでください。
絵本の一番の価値は、親子の温かい時間を作ってくれることです。
すぐに何かの役に立たなくても、お父さんやお母さんの声で読んでもらった物語は、きっと子どもの心の中に温かい「種」となって残ります。
もし本の選び方に迷ったら、いつでもお店に遊びに来てください。
お子さんのこと、好きなこと、色々なお話を聞かせていただきながら、その子にとって最高の一冊を一緒に探すお手伝いができれば、これほど嬉しいことはありません。
皆さんの心にも、素敵な物語の種がまかれますように。