益子で生きる、益子を活かす 
益子駅の改札を抜けると、ふわりと漂う美味しい香り。
駅舎に店を構える「ダイニングとう香~灯香~」は、今年4月に新たな船出を果たしたばかり。
店主の萩原氏が守り続ける味と、未来への情熱。
その挑戦を隣で支えるのは、益子町商工会の経営指導員、大塚氏。
一人の料理人の想いが、町の新たな灯りとなるまでの物語。
心温まる対談が、今始まります。
お客様から寄せられた「美味しかった」の一言が、人生を変える決断の引き金になることがあります。
萩原氏が、愛された店の歴史と味をその両肩で受け継ぐと決めた日。
それは、経営者としての野心からではなく、「あの人たちをがっかりさせたくない」という、料理人としての純粋な想いからでした。
大塚:
本日はありがとうございます。今年の4月にオープン、本当におめでとうございます。
元々はこちらで働かれていたとのことですが、改めて「自分でお店をやろう」と決断された一番のきっかけは何だったんでしょうか?
萩原:
はい。以前のお店で働いていた頃、いつも来てくださる常連さんや、「また来たよ」と声をかけてくれる観光客の方がたくさんいらっしゃいました。
そんな中で、お店が急に閉店してしまうのは、お客様を悲しませてしまうと思ったんです。
大塚: なるほど。
萩原:
お客様からいただく「美味しかった」「また食べに来るね」という言葉が、僕にとっては何よりの喜びでした。その言葉が好きで、この味と場所を守りたい、と。
それなら自分の手で続けていこうと、そこで決意が固まりました。
お客様の声が、僕が決断する最後の一押しになったんです。
大塚:
お客様の声が、萩原さんの勇気になったわけですね。
実際に「自分がやる」と決めてから、オープンまでの心境はいかがでしたか?
相当なプレッシャーがあったのではないですか?
萩原:
もう、めちゃくちゃプレッシャーでした(笑)。
やるとは言ったものの、オープン日が近づくにつれて心臓のドキドキが止まらなくて。眠れない日もありました。
ワクワク感と、『本当に大丈夫だろうか』という不安が四方八方から押し寄せてくるような、そんな毎日でしたね。
大塚: まさに、気が気じゃない状態だったんですね。
萩原:
そうなんです。「頑張ろう」という気持ちと、大きな不安が入り混じっていました。
でも、今となってはそれも全部「いい思い出」です。
あの時の緊張感があったからこそ、今の自分があるんだと思います。
そのプレッシャーを乗り越えて生み出される一皿には、きっと特別な想いが込められているはず。
お店の顔となる、自慢のメニューについて話は続きます。
「とう香」のメニューブックを開くと、そこには二つの物語が綴られています。
一つは、大切に受け継がれてきた歴史の物語。
そしてもう一つは、お客様の声に耳を澄ませることで生まれた、新しい挑戦の物語です。
伝統と革新が共存する、その味の秘密に迫ります。
大塚: では、初めてお店に来たお客様に「まずはこれを食べてほしい」という、看板メニューを教えていただけますか?
萩原:
はい。それは以前のお店から引き継いだ「牛肉の炭火焼きプレート」です。
うちに来たら、まずはこれを召し上がっていただきたいですね。
大塚: 「牛肉の炭火焼きプレート」、どういったこだわりがあるのでしょうか?
萩原:
まず、お肉は塊の状態で仕入れて、お店で一つひとつ丁寧に捌きます。
そして、提供する分ごとに切り分けてから、2時間半かけてじっくり低温調理するんです。
大塚: 2時間半も!ずいぶん手間がかかっていますね。
萩原:
はい。そうすることで、お肉の筋繊維がほぐれて、驚くほど柔らかくなるんです。
ご注文をいただいてから、最後の仕上げに炭火で香ばしく焼き上げてお出ししています。
大塚:
なるほど。低温調理の柔らかさと、炭火の香ばしさの両方が味わえるわけですね。
では逆に、以前からお店のファンだった方が喜ぶような「あえて残したメニュー」と、萩原さんが「新しく挑戦したメニュー」があれば教えてください。
萩原: あえて残したメニューで言うと、影ながらファンが多数いる「牛すじカレー」ですね。
大塚: 牛すじカレー!私も以前いただきましたが、本当に美味しかったです。
萩原:
ありがとうございます。このカレーには、看板メニューである炭火焼きプレートに使っているのと全く同じ牛肉の塊から取れる、上質なすじ肉だけを使っています。
それを自家製ブレンドのスパイスと合わせて、こちらも3時間じっくり煮込んで作ります。
大塚: それは美味しいはずですね!少しスパイシーで、まさに「大人の味」という印象でした。
萩原:
そうですね、お子さんには少し辛いかもしれません(笑)。
でも、そのスパイシーさが牛すじから溶け出す旨味と合わさって、他では味わえない深みを生んでいると思います。
大塚:
まさにプロの味ですよね。
では、新しく挑戦したメニューはいかがでしょう?
萩原:
新店舗になってから追加したのが「カツレツのプレート」です。
以前は、豚肉のメイン料理がポークソテーしかなく、「牛肉が苦手で…」というお客様や、もっとガッツリ食べたいという男性のお客様の声があったんです。
大塚: なるほど。お店を引き継ぐきっかけになったのもお客様の声でしたけど、新しいメニューが生まれるきっかけも、やはりお客様の声なんですね。
萩原:
はい。洋食の王道で、ボリュームもあって満足感が得られるものは何か、と考えた時にカツレツが浮かびました。
「ボリューム満点で美味しかった」という声をいただけると、本当に嬉しいですね。
大塚: ドルチェ(デザート)もすごく人気ですよね。
萩原: ありがとうございます。特に「さつまいものケーキ」は、以前のオーナーからレシピをそのまま受け継いだもので、昔からのお客様にとても人気なんです。
大塚:
(深く頷きながら)味の歴史も引き継いでいるんですね。
実は、うちの子どもがここのティラミスを食べて以来、ティラミスが大好きになったんですよ。
人生を変えられました(笑)。
萩原:
初耳です!それは嬉しいですね。
ただ、ドルチェに関しては「旬の美味しい食材が手に入らない時は作らない」と決めています。
料理全般に言えることですが、本当に美味しいものを、一番美味しい時にお出ししたい。
それが僕のこだわりです。
受け継がれる味、お客様の声に応える味、そして旬を大切にする味。
メニューの一つひとつに物語とこだわりが宿っていました。
その味を生み出す萩原氏自身の歩みにも、興味が湧いてきます。
ホテルの華やかな厨房から、健康を第一に考える病院の調理室へ。
萩原氏が歩んできたユニークな道のりは、彼の中に「食べる人への深い思いやり」という確固たる哲学を育みました。
その経験が、現在の「とう香」の優しく、そして実直な一皿をどのように形作っているのでしょうか。
大塚: 萩原さんは、以前はどちらかで修行をされていたのですか?
萩原:
いわゆる「修行」という形ではないのですが、ホテルで4年ほど調理を担当していました。
その後、コロナ禍で一時期、病院食を作る仕事も経験しましたね。
大塚:
ホテルと病院食ですか!ずいぶん対照的な現場ですね。
特に病院食の経験は、今の料理に活きている部分はありますか?
萩原:
ものすごくあります。病院食で徹底されていたのは、「温かいものは温かく、冷たいものは冷たく提供する」塩分濃度の管理です。
その経験から、例えば自家製のドレッシングを作る時も、野菜の味を邪魔しない、絶妙な塩分を心がけています。
食べる人の体にすっと馴染むような、優しい味付けを大切にしたいんです。
大塚:
お客様の心だけでなく、体への配慮もそこから来ているんですね。
料理を作る上で、今一番大切にしていることは何ですか?
萩原:
「作り置きをしないこと」と「地産地消」ですね。
付け合わせのお惣菜なども、なるべくその日の朝に思いついたものを調理しています。
そして、使う野菜はできるだけ地元・益子産のものを選ぶようにしています。
大塚: 益子産の野菜は、どこで仕入れているんですか?
萩原:
毎朝、「道の駅ましこ」にお弁当を納品しているのですが、その際に直売所で朝採れの新鮮な野菜を仕入れています。
誰が作ったかわかる地元の野菜は、やはり安心感が違いますから。
萩原氏の料理が、単に美味しいだけでなく、どこか温かく体に優しい理由。
それは、食べる人への細やかな配慮と、育った町への深い愛情に支えられているからでした。
その想いは、お店の名前に最も強く表れています。
店の名前は、事業主の理念そのもの。地域への想いを映し出す鏡でもあります。
「ダイニングとう香~灯香~」。
一度聞いたら忘れない、詩的で美しいこの響きには、益子の原風景と、この町を愛する萩原氏の静かな願いが込められていました。
大塚:
改めて、「灯香(とうか)」というお名前、本当に素敵だなと思います。
灯火(ともしび)の「灯」に、香りの「香」。
この名前には、どんな想いが込められているのでしょうか?
萩原:
ありがとうございます。実は当初、数字の「十」に香りで「十香」という名前を考えていたんです。
食べ物や人、雰囲気など、益子の町には素敵なものがたくさんある、というのを「十の香り」と表現したくて。
大塚: 「十の香り」、それも面白いですね。
萩原:
はい。でも、もっと益子らしい表現があるんじゃないかと考えるようになりました。
僕は益子で生まれ育ったのですが、町のシンボルである城内坂の街灯のあかりや、益子焼の登り窯から立ち上る炎。
それがまず「灯」のイメージに繋がりました。
大塚: なるほど、益子の原風景ですね。
萩原:
そして、その登り窯から立ちのぼる煙の「香り」。
この二つを組み合わせたら、より益子らしさが伝わるんじゃないか、と。
「十」よりも炎を連想させる「灯」の字の方がしっくりきたんです。
大塚: 益子の「灯り」と「香り」。素晴らしい着想ですね。
萩原: この店が、益子の町を照らす灯りのような存在になれたら、という願いも込めています。
大塚:
このお店は益子駅の構内という、まさに町の玄関口にありますよね。
どういったお客様が来店されますか?
萩原:
平日は地元の事業者の方やご年配の方がお昼を食べに来てくださったり、休日はSLに乗ってこられた観光客の方が多いですね。
バスの停留所も目の前なので、様々な方が立ち寄ってくれます。
町の玄関口で、地元の人と旅人を繋ぐ灯火となる。
店名に込められた想いは、この場所で日々、現実のものとなっています。
その想いを胸に、萩原氏が描く未来とはどのようなものでしょうか。
お客様の声に導かれ、走り出した「ダイニングとう香」。
その歩みはまだ始まったばかりです。
最後に、萩原氏が描くこれからの夢と、未来のお客様へのメッセージを伺いました。
萩原
今はランチ営業が中心ですが、今後はイベントへの出店やお弁当の販売などを通じて、このお店の味を、もっともっと多くの人に知ってもらいたいと思っています。
それがまず、一番近い目標ですね。
そして、いつかはこの味がもっとたくさんの人に愛されて、2号店を出すのが夢です。
何年かかるかわかりませんが、長く愛され続けるお店にしていきたいです。
この記事を読んでくださった皆さん、もし益子にお越しの際は、電車の待ち時間でも、旅の始まりでも、いつでも気軽に立ち寄ってください。
美味しい料理と温かい空間をご用意して、心からお待ちしています。