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長尾俊介 ㈱アズプロダクツ 代表取締役

2024.11.13それぞれがやりたいと思う事。それを応援したい。

本日はこの「益子Webビレッジ」を作ってくれているWeb制作会社の代表である長尾さんを深掘りしようと思います。どうぞよろしくお願いします!

長尾: よろしくお願いします。

社長になりたかった

まず、Web制作会社を始められた経緯を伺ってよろしいですか?

長尾: んん~、流れと言うか、運というか、ですね。

運、ですか?

長尾: そもそも最初からホームページ制作を生業としてやって行きたかった訳ではなくて、単に社長になりたかったんです。…そうそう。スタートは、「社長になりたかった」ですね。

これはまたのっけから直球ですね。

長尾: 大学を中退して就職したのが、宇都宮専門店会という団体職員だったんですけど、元々は宇都宮の商店街の人たちが共通の商品券を作って盛り上げていきましょうっていうって組織で。そこの事務局員でした。
10人ぐらいの規模で、ちょうど益子町商工会のような感じでしたよ。
青年部もあったし。そして、同じ組織が全国的にあって。
1997年頃から3年間。そこで仕事の楽しさを教えてもらいました。

へえ。それは知りませんでした。
何だか親近感が湧きますね。

長尾: 青年部が存在するということは、例によって飲みに連れて行かれて、当時は「こんなもん、めんどくせえな」と思ってましたけどね。
でも、20代がいなかったんで、吸収は早いだろ的な感じで、営業的なこと全部やったでしょ。人が辞めれば、その人がやってた経理関係もやった。ほとんど使ったことのないシステム関係やって。要はいつの間にやら全部の業務をわかってる状態になってたんです。
それって、結構仕事としては楽しいんですよね。

その感覚も分かりますね。

長尾: うん。うちの親父には「仕事なんて40才ぐらいになったらやっと楽しさがわかるもんだ」って言われてたんですけど、思ったより早かったですね。
で、その頃に、色々教えてくれて尊敬してた上司が都合により退職することになってさらに一手に自分のところに仕事が降ってくるようになったんですよ。
仕事は概ね回せるんですけど、今度は一番上の上司とそりが合わなくて。
もう、こういう縦社会が嫌だなと思って。髪型で怒られたり。
その時、仕事色々できてるじゃん!(無謀で自意識過剰…笑)
自分でやりたいようにやりたいな、っていうのが起業のスタート。

なるほど。「独立したい」が先にあったんですね。

今になって考えると、そんなことを考える高校生はあんまりいなくないかな

それにしても起業というのは勇気のいる決断に聞こえますが。

長尾: 高校生ぐらいの頃かな。フランス料理ってあるじゃない。
当時はとってもお洒落なもので、高級なものだと思ってたのよ。
で、食べながら、作り方を定型化してフランチャイズにすれば安くなる、みたいなことを考える子どもだった。

今でいうサイゼリアのような形態ですか?

長尾: あれはイタリアンですけどね。ああいうのを作ったら売れるんじゃないかって考えてたわけですよ。商売やりたいとかやりたくないとか別にしてね。妄想してた。

実業家気質というんでしょうか。何をどう売るか、ビジネスを考える少年だった。

長尾: 今覚えてるのはたまたま飲食ですけど。でも別に料理作るの好きじゃないし…みたいな。
工場勤務は無理だよな。現場作業員も無理だな。コンビニの店長やろうかな、とか。
あくまでたまにですよ?遊びたいさかりですし。

この発想が一度事務職を経験した後の「社長になりたい」に繋がるんですね。

Web制作とかっていう言葉で、一番最初に出てくるようになっちゃった

株式会社アズプロダクツを作られたのが2000年ですか?

長尾: そこに行きつくまでにはもう少し時間がかかって、当時は、知り合いの社長を通じて、防災商品を売ったり、日銭のために建設現場作業を手伝ったり、さらに紹介で業務用のエステの機械を販売したり。
完全にその場しのぎと、結局あちこちの会社の社長いいように使われるだけで…
それじゃだめだ!って。
じゃあ、そもそも自分は出来るんだろうと模索した時に、ホームページだったら作れるんじゃないの、って思ったのが2000年後半ですかね。
とは言え、「自分で出来るんじゃないか」って浮かんだだけで、今考えると普通に上手くいくわけがないんです。

ホームページ、いわゆるコーディングの話は、専門技術、専門知識が必要だという認識ですが。

長尾: 今のWebは専門性は高い。当時と今では作り方が全然違うんです。あの時は一応形にはできたんですよ、当時の自分でも。

それは、コーディングをちょっと勉強した、というぐらいの知識だったんですか。

長尾: 勉強したっていうか、もう自己流で。
ネットで検索して作り方を見てパクって作り方を少しずつ覚えて…
何個か作っていくうちに、見た目も真似するようにして綺麗になってきて。
で、その内お試し感覚で知り合いの会社さんホームページを作らせてもらったり。
5万とか10万とか少しずつ費用を頂きながら学んで。
で、その頃、小さい検索エンジンが腐るほどあったんすよ。

2000年代初頭ですね。

長尾: そう。2000年代初頭には、小さい検索エンジンとリンク集みたいなものが沢山あったんですよ。無料で申請だけ出せば、掲載してもらえるんでです。
1か所に 1か月に1アクセスでも、100か所あれば1か月に100アクセスあると、勝手に思ったんです。無謀なんですけどね。
当時はgooの時代でGoogleが知名度を増しつつある頃です。なので、SEO対策(検索エンジンの最適化)って言葉もまだない頃です。
なので、1アクセスをあちこちから無料で拾うために暇なときにポチポチ作業を日々やったわけです。

まさに暗中模索ですね。

長尾: そうしたら、2002~3年くらいかな。
偶然です。結果論です。
「Web制作」ていうキーワードで、googleで一番上に表示されるようになっちゃったんですよ。
小さい検索エンジンからたくさんのリンクがあるから。
わかりやすいかなって、たまたまそういうサイトからのリンクボタンに「web制作」「ホームページ制作」とかもつけてたから。
結果、全てが、いわゆる後から知る「SEO対策」の初期にすごく効果的だったんです。
たまたま、そうなった。
そのうち、全国から問い合わせが来るようになって、ネットだけで売上が出てくるようになっちゃったんです。
運っていう最大がここで、結果そうだっただけで意図してはないんです。

いわゆる会社としての体を成してきたのが、ちょうどその頃という事ですね。まだお1人で必死にやっていらっしゃったんですね。

長尾: そこからちゃんと安定するきっかけは、上場している会社さんがgoogle検索で探してきてくれて仕事を流してくれるようになって。そこで一気にWeb制作の仕事が増えました。

今のアズプロダクツの原型

長尾:それと同時に、凄く有難い話なんだけど、そろそろ自分1人で1から10までやんの大変だな、とも思ってきたんです。

手間がかかる仕事ですからね。

長尾: そもそも自分は楽したい人なんですよね。
しかも同じような個人事業主が作るWebサイトを見ると、自分なんかよりやっぱりみんな上手なんです。
しかも、聞くと自分より全然制作時間が掛からない。
これはもう、外注でやろうと。
やりたがってる人多かったですからね。
当時はSOHOって言ってたんですが、そう人をネットで探そうって。もうWebだけですべて完結。しかも早くて安くて上手。

これが、今のアズプロダクツの原型ですね。

長尾: そう。自分が仕事を取ってきてまとめる。デザインやコーディングを信頼する外注さんに作ってもらう。
上場の会社さんが全国展開だったので、全国各地から依頼をいただいた。
2005、6年くらいから、ババーンって伸びた。
それで、少しづつ会社として形になったんです。
そして2007年にアズプロダクツを法人化しました。

なるほど。運だけじゃなくて、嗅覚もすごく感じますね。
ホームページ制作というWeb産業の大きな隆盛にしっかりと乗っていたのが良くわかります。

長尾: 時代ですね。だから、運です。

しかも、元々そこにすごく興味関心があったということじゃなく、実業家的、経営者的な雰囲気でそれを嗅ぎ取っていたという事でしょうか。

長尾: どうなんでしょうね。そんな素晴らしい話じゃないですけどね。
始めた当初、社長になりたいと、家で好きな時間に仕事をしたい。
もうそれだけ。その頃も意外と楽しかったですけどね。
何なら、楽して稼ぎたいと思った節もあったぐらいですよ。
楽するためにどうやったらいいのかな、って考えてた。
だから、今も続けられてるのはたまたまで、運が良かっただけかな。

楽するために仕組みを作る、努力をするって、システムエンジニアの方がよくおっしゃる言葉ですよ。

長尾: 人間、基本は楽したいはずなんです。
だから働いているフリをする人がいる。
そんな何かを偽ったり取り繕ったりするのは好きじゃないんですよ。学校の先生にいがちですが、その表面上だけを見て評価する人も苦手なんです。
陰で努力しようが、努力しまいが、トータルで楽して結果良ければ一番いいなと思うんです。

あはは、なんだか生き様が見えますね。

もう仕事が来たらやればいいや。あとどうやって終活しようかな

ちょっと話は飛んで、コロナ禍の辛い時期の事を少しだけ教えていただけますか?

長尾: そこから2021年までほんの少しずつずっと伸びてきました。
自社的にはコロナ禍になったのは1年遅れだったんです。

それは、色々な企業さんが2020年の頃はまだ、平常運転を頑張ろうという意識が強かったという事でしょうか。

長尾: 多分。今まで一生懸命やってて、ちょっと余裕時間ができたら、これやろう、あれやろうって浮かぶと思うんです。
でもそれが、こんな世の中いつまで続くんだろう、に変わってきた。
そして、もう復活しないかもしれないから、とにかく無理せず止めようっていう風になった。これを期にちょっとゆっくりしようかなとか、仕事を増やしちゃダメくらいの空気もあった。

2021~2年当時のですね。当時、隠さず言うとそういう雰囲気は全体的にあったかもしれないですね。

長尾: 給付金とか営業しなければお金貰えるなんて、凄い話ですよ。
世の中全般に経済活動をやめようみたいな空気で経済は停滞して、そうすると、広告など真っ先に減らしますよね?新規契約もガクンと減って、既存の契約もどんどん終わっていった。
個人的には、もう世の中の全員がやる気なくしてたと思う。自分もひっくるめて。

ご自分もですか。

長尾: 外に出ない、人と話さない、ただ家にいてモチベーションって上がらないじゃないですか。
もう仕事が来たらやればいいや。あとどうやって終活しようかな、みたいな。
会社ではなく自分だけが生き残る楽な方法を考えた時もあるくらいです。

ビジネスである以上、ご自分も出血を止めなきゃいけないっていうのは当然あります。

長尾: まともに仕事が動いてるなっていうのは、今年(2024年)の1月からかなあ。

それもやっぱり1年遅れのイメージなんですね。コロナウイルスが第5類に分類されたのが2023年の5月ですから。

長尾: そう、やっぱり1年遅れです。

今やっとちょっと持ち直しの兆しが見えてきて、心理的にも少し楽になったところでしょうか。

長尾: うん、そんな感じですね。

益子の駅前に、駅を挟んで20階建立てのツインタワービルを建てるって言ってたんです

長尾さんは、お仕事の仕方がフランクですよね。

長尾: 最初はただ楽したい。
青年部に入った頃からは、横の繋がりからお仕事を頂いたり、紹介も多かったですしね。
見通し大きくしよう、規模を大きくしよう、じゃなくて、みんなと少しづつ仕事を増やして、楽しくやろうと。
仕事の仕方はそもそも公私混同ですしね。

なるほど。

長尾: 楽しくやろうと。従業員もそれでやってもらってます。
就業時間も自己申告で、昼間子供と一緒ににいて、夜仕事をしてもいい。
会社に出勤してもいい。事務所に子供を連れてきても良い。守るべきところだけ守る。
そうすると、自然と信用できる人しか残らないし。ズルする人ってわかるじゃないですか?やったフリもわかる。
でも、お客さんの納期は決まってるから、そこだけは間に合わせるように。
実際、コロナ中、後は、下請け仕事は減ってきてる。
でも悪い事ばっかりじゃない。
下請けに依存すると取引がなくなったら死活問題じゃないですか?
だから、コロナ禍はちょうどそういう変化にも良いきっかけなのかなと思って。
身の丈に合った直接取引の会社さんが増えて…

だんだん気質に合ったお仕事の仕方になってきているんですね。

長尾: 気楽にアイディアを出すのは好きなんです。
昔はね、10年ぐらい前ですよ?
益子の駅前に、駅を挟んで20階建立てのツインタワービルを建てたいって言ってたんです。

ええ?

長尾: 現実的には当たり前に無理なんですけどね。
飲んでる席で、色んな業種のいる青年部のみんなでビル建てられるじゃん!って。
そしたら今度は店舗にテナントで入ってもらって、みんなで経済まわしちゃおうみたいな。
最近は国作るって言ってますけど。独立するって。

バカみたいな、でも夢の詰まった話ですね。

後輩がやりたいと思う事。それを応援したい。

最初、「社長になりたい」から始まったインタビューですが。
「偉くなりたい」という発想は無いんだなと思いました。

長尾: ああ~。無いかもしれないですね。
そうね。関わる人みんながハッピーで楽しいのが良い、自由になって欲しい。

そういう思想はすごく受け取っています。
事業をすごく大きくしていきたいとか、すごくいっぱい儲けたいというのはあんまりない。

長尾: あれ?確かに!
「儲けたい」ってワードが出ないですね。

むしろ毎日を楽しみたいというような。事足りている感じ。

長尾: それなりのお金を持って、それなりにみんなで遊べて。
好きなものに取り組める生活ができてれば、今の段階では良くなってしまいました。
そんな仕事と生活って楽しいなって。
さっき言ったビルを建てたいとかって、どういう風に建てるというプランなんて考えたことがない。国を作るなんて、プランがあるわけない。
う~ん、何て言うかな。ああ、言いたかった事あるんだけどな…。

何でしょう?

長尾: うーん、なんだろう…
まあ、いい年の取り方をしたいですね。

いい年の取り方。

長尾: 時代が変わると文化って変わるじゃないですか。
今、若い男の子から化粧しだしたりしてる。
男のくせにそれ何だ、とかって思わないんですよ。
だから年をとっても新しい文化を取り入れられる自分でいたい。
従業員でも、自分の子供でも、後輩でも、やりたいっていうことを絶対否定しない。
…それぞれがやりたいと思う事。それを応援したい。とりあえず試してみたい。

…臭いですね。あははは。

長尾: ははは。

誰よりも幸せな生き方をさせてもらってます。

長尾: あともう1個はこれ。
まだまだ、自分は人生を振り返る段階じゃないんですけど、自分の生き方に大変満足してます。

おー、これは中々言えない一言ですね。

長尾: 勝手に社長になりたいと思って、でも、運が良くて仕事になってた。
楽しく仕事して、それなりにやってきた。
青年部に入って県内外にもたくさんの友達もできた。そこでも仕事になって。
ましこTOYBOXの時も、こんなことをやりたいと思うと周りのみんなが助けてくれて。
今もみんなが助けてくれて、たくさんの友達がいてくれて。
まあ反発も食らいますけどね。
こう見えて損はしないように手堅く保守的なはずなのに、やっぱり公私混同で自由人じゃないですか。
すべてをさらけ出してる自分の生き方は誰よりも楽しいんじゃないかと思っています。
誰よりも幸せな生き方をさせてもらってます。まじで。

怒られることも多い?

長尾: 都度都度の不満はぶつけられますよ。従業員にも後輩にも笑
無茶振りばっかりして、「最悪だ」って言われることもある。でもそう言いながら、いつまでもやってくれんですよ。幸せじゃないですか、それって。
でもたくさんの人がそれでいいんだって言ってくれるんです。従業員から「こんな働きやすい会社はない」って。めちゃめちゃ有難くないですか。

有難い話ですね。

長尾: 自分は保守的な部分、自由な部分、思い付きの部分、真面目に取り組む部分、思いっきり羽を伸ばす部分。業が深い部分、それが人の振り幅で大切なことだって、それでいい、それがいいって思ってくれる人がたくさんいるんですよ、ほんと幸せっすよね。

今日は長尾さんの等身大のお話が聞けて楽しいひと時でした。ありがとうございました。

  • 聴き手 加藤拓 益子町商工会 経営指導員