今日は新興鉄骨工業社長の塚本貴郎(つかもと たかお)さんにお話しを聞かせていただきます。今日は貴郎さん、よろしくお願いします。
塚本 貴郎はい、塚本貴郎です。よろしくお願いします。
まず、新興鉄骨工業の歴史や仕事の内容などを教えてください。
塚本 貴郎創業は昭和38年に私の祖父が 始めました。最初はベランダの手すりなど、ちょっとした
工事をやってたようです。その後、昭和41年に新興鉄骨工業が設立されました。
その時にはもう私の父も、会社で仕事をしていて、作ったのは祖父ですが、ほぼ、今の会社・今の形を作ってたのは、私の父親からになります。そして2022年に世代交代をして私が3代目になります。
先代の和也さんは、何年ぐらい、社長業をなさったんでしょう?
塚本 貴郎私が生まれた時にはもう社長だったので40数年経ちますね。
40数年。半世紀弱、社長をなさってバトンタッチを受けられたってことですね。
オモシロイ!先代の和也さんのときに会社はどれぐらい大きくなったんですか?
塚本 貴郎最初の工場は、私の自宅の方にあったんです。今は第2工場が出来る規模になったので。
自宅というと、益子駅舎の方ですね?
塚本 貴郎そう。自宅の隣が事務所になってます。そちらが本社となってますので、自社工場は本社と第2工場の2箇所です。
今第2工場にお邪魔してますが、かなり大きいですよね。大きな鉄骨もかなり加工できるんじゃないですか?
塚本 貴郎そう言っていただけるのはありがたいですけど、業界の中では真ん中。
国土交通大臣の認定
グレードっていうのがありまして5ランクあるんですけど、弊社はその真ん中なので、3番目です。中規模ですね。
この益子町という小さな地方の町の中で、3番目の規模ってすごく立派なんじゃないかなと思いますが。
塚本 貴郎ありがとうございます。このランクを取るには、人も必要だし、設備も必要だっていうことで、おかげさまで、なんとかやらせてもらってます。
順調にきてるんですね。
新興鉄骨さんは具体的にどういったお仕事の内容をされているのでしょうか?
塚本 貴郎仕事内容は主に建物の鉄骨ですね。骨組。
今受注が多いのが、介護施設などの鉄骨。あと工場とか、店舗なんかもありますけど。
鉄を切る、穴開ける、溶接する、塗装するといった内容ですね。
今、従業員さんは何人ぐらいいらっしゃるんですか?
塚本 貴郎外国人実習生含めて今は18人かな。
まさに雇用の面でも益子町を支えていますね。
貴郎さん個人の経歴って聞いてもいいですか?
塚本 貴郎えー、私の歴はそんな大したものはないんですが。
学生時代は何かやっていました?
塚本 貴郎学生時代は野球部です。
中学は部活部活。毎日部活。あのときがきつかったなー。
じゃあ結構腕前も?
塚本 貴郎いや、そんなに上手じゃなかったですけど、お盆休みもないような、そんな部活で。
当時だからやっぱり丸坊主の時代でしょうかね。
塚本 貴郎いや、中学は坊主じゃなかったんですよ。
ただ、怒られて坊主にしたことは1回ありました。
時代を感じますね。
塚本 貴郎今じゃ考えらんないですけどね。
中学時代は、部活に明け暮れていたんですね。
塚本 貴郎部活の思い出しかほぼないですね。
高校時代も、じゃあ、そのまま野球も続けてたのですか?
塚本 貴郎そうですね。
高校は、どっちかというと楽しくやってた感じですかね。
辛いのは、茂木まで1時間かけて自転車で通ってました。
自転車で1時間かけて通ってた!
塚本 貴郎部活なんかやって遅くなったら、それこそ21時とかに帰ってきてましたもんね、自転車で。
みんなで帰りに、食べ歩きしながら帰ったね。
中学時代に比べると、楽しく過ごせたんですね。
塚本 貴郎もちろん、辛いのもあったけど、それでも楽しかったかな。
高校を卒業してから、新興鉄骨工業に入られたんですか?
塚本 貴郎高校卒業後は大学に行ったんだけど、すぐ辞めました。
理由を聞いてもいいでしょうか?
塚本 貴郎
もともと行くつもりがなかったんだけど。東京の方に行きたいなと思ってたんですよね。 一応、大学に行けって言われてたので行ったんですが、そんな気持ちでは続かないですよね。
大学を辞めて2年ほど、益子町の中山建設さんで働きました。
中山さんで、 修行といっても全く異業種で、業種は建設業だけど内容は今やっていることとは全然違いました。本当に、自分の会社に入る前の修業みたいなものですね。
社会人の基礎を教えていただくようなイメージでしょうか。
塚本 貴郎現場の雰囲気とかね、そういうのも味わいながらですね。
じゃあ、すごく若くして、新興鉄骨さんに入社されたんですね。
塚本 貴郎そうですね、21歳ぐらいで戻りましたね。
入られた当時の会社をどう思いました?
塚本 貴郎
結構ハードでしたね。とにかく 残業ばっかりしていた。全員ではないですけどやる人間はやってましたね。今じゃちょっと考えらんないですね。
表には出ないような残業も含めて割とあったかな。多分、業績が良い会社だとある事ですけどね。入社した当時、仕事はありましたからね。
例えばゴールデンウィークになると、普通工場って休みじゃないですか。その時に入って直してくれ、やってくれって依頼がくるんですよ。
なるほど、工場の修繕がお仕事だから、連休なんかは、必ずお仕事が入るんですね。
塚本 貴郎入社して何年かは本当、連休っていう連休はほぼなかったですからね。
それは辛いですね。
塚本 貴郎そうですね、まあ、経験になったと言えば美談になっちゃうかもしんないですけど。
でも当時は、やっぱり、体力も気力もあった。若かったせいか、辛かったんだろうけど、そこまで、やりたくないとか思わなくて。今じゃ無理だけどね、若さで頑張れたのかな。
その時の経験が、今の社長になった時の改革にちょっと関わってるような気がします。
1年半ぐらい前に社長になられたということですけども。貴郎さんが社長になってから変えたことを教えてください。
塚本 貴郎はい。目標というか、やろうと思ったことが3つあります。
まず1つ目が、見た目のイメージを変えるために作業服をちょっと一新しました。地味な作業服だったんですけど、ちょっと今風な色とデザインに見た目をかっこよくしようかなと思って、まず1つ変えました。
今の若者に合いそうなデザインな感じがします。
塚本 貴郎
まあまあ、見た目の刷新ですね。もう1つが、情報の開示です。instagramの開設も少し前からやっていて、私が社長になる少し前にもホームページも開設しました。若い人、これから本当に就職考える人の目に届くように、ホームページ、instagram等の情報を見えるところに作りました。
あと3つ目が、ここが本丸なんですが勤務体系も変えました。
今まで休みが日曜日ぐらいで、土曜日、祝日出勤する形でやってたものを、年間休日を設定して、それを振り分けて、なるべく土曜日休めるような勤務体系にしました。この3つを変えた目的は、若い社員、若い人が入ってもらえるような会社にしたかったんです。
情報が目に届いて、これだったら入社してもいいかなって思えるような形を作るためにやったんですけど、3つ目の休みを増やしたことに関しては、今の社員の人にとってもいい方向にいってるんじゃないかなと言っています。
お休みを改善されたということですけども、改善する前は、何日ぐらいの年間休日だったんでしょうか。
塚本 貴郎大体85日程度だったと思いますね。
それが105日になったんで、単純に20日程度改善しました。
業界全体として、やっぱり休日がすごく少ない業種なんですか?
塚本 貴郎そうですね、そう思っていいと思います。
それを率先して改善されたと。
塚本 貴郎はい。建設業自体が土曜日仕事っていうのはまあ当たり前、未だにまだ 変わってないところも多いんじゃないかなと思うぐらいです。
今回3つ変えられたということでいい方向にもいってるとお話しがありましたが、社員さんから具体的にどう影響があったんでしょうか?
塚本 貴郎そうですねえ、やっぱり休みが増えると、仕事効率も上がると思うので、そういう面では、体力的にも いいかなとは思いますね。
メリハリが大事ってことですね。
塚本 貴郎でも、やっぱり1週間の中で、6日勤務が5日になると、最初はみんな「これできるの?大丈夫なの?」っていう話にはなりました。
6日間かけたのを、5日間でこなさないといけないからですね。
塚本 貴郎ただ、これも日数が減った分、今までは8時から夕方5時までだったのを、8時から 5時半にして、ちょっと時間調整はしてみたんですけど。
1週間で見ると、1日減るってのは大きいですからね。多分、そこでぎゅっと縮まったとこで、みんな 逆に集中してやろうっていう気になってるのかな。
いわゆる業務効率化ですよね。素晴らしい改革だと思います。
塚本 貴郎無意識でもなると思うんですよね。やらなくちゃいけないっていう、間に合わせないといけない。実は時間的にはそんなに変わらないんですけどね。
効率アップで、すごいと思います。
今後、新興鉄骨工業さんが今後こうしていきたいとか、益子町はこうなっていってほしい、貴郎さんの思いを聞かせてください。
塚本 貴郎まず会社としては、やっぱり若い人材が欲しいですね。
これから、どうすれば若い人が入ってくるのかもちょっと考えなくちゃならないと思うんですけど。
とにかく入ってもらって、会社の中で循環してもらいたいですね。
元々私の会社、私が入社した時は結構入ってくれた人も多くて、だから元々すごく若い会社だったんですよ。
平均年齢も多分、下手したら20~30代前半ぐらいだったんじゃないかな。
それは若いですね。
塚本 貴郎それがそのまま、上がってきちゃって、下がなかなか入らないまま今に至る感じです。
だから、やっぱ若い人が入ってね、上が下に教えて、また下の人がこう上になってという循環が欲しいので、とにかく若い人がなんとか来てもらいたいですね。
地元の益子町に対しても、あんまり大きいことできないですけど、雇用を創出できれば、なんか少しでも役に立てるのかなと思うんですけど。
人口も減ってますからね。まず住んでもらって、働いてもらってって感じですね。
建設業全体が、若い人がなかなか選んでくれないというふうに言われていて、厳しいと思うんですが、若い方向けに一言何かありますか。
塚本 貴郎そうですね、建設業界は暑さだったり寒さだったり、働く環境としては厳しいと思うんです正直。
だけどCMでもありますけど、地図に残る仕事とか言われてますようにやりがいのある仕事だと思います。
地図に残る仕事。
塚本 貴郎他の会社さんのキャッチコピーですけどね笑
そういう思いでね、やれば少しでもなにかの活力になるのかなとも思います。
まさに形に残る仕事ですものね。自分の作ったもの、自分の直したものがそこにあるっていうのは、すごく嬉しいことかもしれませんね。
塚本 貴郎ぜひ、若い人に来ていただきたい。
うちに来なくてもいいから、ちょっとね、益子に定住してもらってね(笑)
そうですね!本日はありがとうございました。
塚本貴郎どうもありがとうございました。