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健一窯 大塚雅淑

2026.02.05「不自由を楽しむ」健一窯・大塚雅淑さんが語る、土と生きる幸せ

いつも工房に伺うと、ひんやりとした土の香りと、二代目・大塚雅淑さんが快活な笑顔で迎えてくれます。
健一窯の歴史は、実は農家から始まりました。先代の健一氏が農機具店勤務を経て、益子の巨匠・佐久間藤太郎氏に弟子入りしたという、文字どおりゼロからのスタートでした。
そんなお父さまの背中を見て育った雅淑さんですが、その道に入るきっかけは、意外にも「素直すぎる」はじまりから。
今日は、益子町商工会の経営指導員 黒子が、指導員と事業者という枠を取り払い、一人の人間 大塚雅淑さんが作る、この温かな器が生まれるまでの物語を紐解いてみたいと思います。

健一窯 大塚雅淑
健一窯 大塚雅淑

1.健一窯の成り立ち

黒子: 農機具から焼き物の世界へ。相当な決断だったんでしょうね。

健一窯 大塚雅淑

大塚: 結局、藤太郎先生の最後の弟子だったのかな。家も近かったし働きながら自分で窯を築いて。それが健一窯のスタ-ト。面白さにはまっちゃったんでしょうね。僕が子どもの頃は、今の作業場があるあたりに土がこんもり盛ってあってそこに灯油窯があったのを覚えています。

黒子: そんなお父様の姿を見て雅淑さんも「いつかは俺も」と自然に陶芸家になられたんですか?

大塚: いや、それが全く!(笑)家の仕事なんて手伝いすら一回もしたことがなかった。

2.家業を継ぐという「当たり前」の魔法

健一窯 大塚雅淑
健一窯 大塚雅淑
健一窯 大塚雅淑

黒子: じゃあ、どのように、こんなにご立派に? 親子二代で、「益子焼伝統工芸士」とお聞きしました。

大塚: 俺がこの道に入ったのは、完全にお袋の「長男は家を継ぐもんだ」って、物心ついた頃から英才教育という名の刷り込みを受けて育ちましたから。高校3年の進路決定まで、自分が継がないなんて選択肢、一ミリも疑わなかった(笑)

黒子: 迷いがなかったというのは、ある意味、幸せでしたね。

大塚: ええ、小中高とサッカーにどっぷりでしたから、土をいじるよりボ-ルを追いかける方が楽しくて。だから、高校を卒業して窯業指導所に入ったときは、本当に「まっさら」な状態。知識も技術もゼロから入りました。

黒子: 家業を継ぐという「疑わなさ」が今の雅淑さんの根底にあるのかもしれませんね。でも、その「ノリ」で飛び込んだ世界、甘くはなかったんじゃないですか?(笑)。

大塚: ひどいもんでしたよ(笑)歴代ワ-スト、相当上位の教え子だったらしいです。語り継がれる「伝説」も作っちゃいました!もう時効だと思うから言うけど、指導所の屋根に登ってさ……(ゴニョゴニョ)。あはは、前代未聞ですよ!先生には相当呆れられてました(誇らしげに)」

黒子: どんな伝説ですか~?後で内緒で教えてください!

大塚:

黒子: まさに益子の自由人ですね!そんな雅淑さんが「本気」になったきっかけはなんだったんですか?

大塚: 指導所に通いながら、飲食店で「皿洗い」のアルバイトをしてたんだけど、卒業と同時にやめて、「焼き物一本で食う」と、 覚悟を決めて「健一窯」に入ったんです。最初は親父から給料をもらってたんだけど、まあ相変わらず俺がダラダラ仕事をしてたもんだから、親父に『今日から歩合制だ』って。

黒子: 歩合制!つまり、売れた分しかお金にならない。

大塚: そうなると遊んでる場合じゃない。食えなくなっちゃいますから(笑)俺も現金なもので、そうなると必死ですよ(笑)一生懸命ろくろを回し始めましたよ(笑)でも、真面目にやり始めると、今度は親父の作風に対して反発心が芽生えてきたんです。親父に反発しながらも、「自分なりの益子焼」をどう表現するか、必死に模索し始めたのが20代後半の頃でした。サッカ-で培った負けず嫌いな性格にようやく火がついたんです。

健一窯 大塚雅淑
健一窯 大塚雅淑

3.「益子焼は重い」への挑戦

大塚雅淑という作家を語る上で欠かせないのが、その「薄さ」。ぼってりとした厚みが代名詞の益子焼において、雅淑さんの作る器は驚くほど軽い。それは、市場の声に真摯に向き合った「経営者としての職人」が生んだ革新だった。

大塚: 歩合制になって、どうすれば売れるかを必死で考えました。陶器市の店番をしていた時、『益子焼って重いよね』ってお客さんが通りすぎていったんです。

黒子: 今の生活では「使いにくさ」になっていたんですね。でも伝統的な益子焼のフォルムを保ちつつ、軽くするのは至難の業でしたよね。

大塚: 軽くすれば売れる。でも、ただ薄いだけじゃ華奢すぎて『益子らしさ』が消えてしまう。そこで考えたのが、縁(ふち)にはしっかり厚みを持たせて見た目の力強さを保ちつつ、腰(器の下部)から見えない部分にかけて、徹底的に土を残さないように削り込むんです。持った瞬間に「えっ、見た目よりずっと軽い!」と言う驚きをデザインしました。土を極限まで削ぎ落とす技術!これが俺の「薄引き」の原点です。

健一窯 大塚雅淑

黒子: 作風の違うお父様と一緒にやっていて、ぶつかることはなかったんですか?

大塚: 親父とはしょっちゅう喧嘩ですよ。「益子焼は重いもんだ!」「いや、軽い方が使いやすい!」って作業場の端と端で怒鳴り合ってました(笑)でも、喧嘩してた親父も、最後の方は俺の影響を受けて自分の作品を少しづつ軽く作るようになってきたんですよ。

黒子: お父さま、嬉しかったでしょうね!最高の親孝行ですね~!

健一窯 大塚雅淑

4. 失敗から生まれた独自の色彩:青サビ・赤サビの誕生

技術の進化は、やがて独自の「色」へと繋がります。現在、健一窯の看板となっているのが、深い情緒を湛えた「青サビ」「赤サビ」のシリーズ。実は、これは「大失敗」からのスタートでした。

大塚: 本来出すはずだった釉薬の色と、全然違う仕上がりになっちゃって。それを見たお袋には『こんなガチガチしたもの、売れない!』って散々バカにされました(笑)。

健一窯 大塚雅淑
健一窯 大塚雅淑

黒子: ガチガチ、と言うと、肌触りがザラザラしたりして、益子焼らしい手触りにならない、というような事でしょうか?

大塚: うん、そうだね。でも、自分ではこの風合いが面白いと思ったんです。益子伝統の糠(ぬか)釉を独自に調合し、下地との重なり具合を徹底的に研究しました。

黒子: あえてその『失敗』の中に価値を見出したんですね。

健一窯 大塚雅淑
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5.登り窯の炎と、若手を育てる「優しさ」

健一窯 大塚雅淑
健一窯 大塚雅淑
健一窯 大塚雅淑

個人の創作の一方で、地元の活動も熱心です。登り窯の前に、窯業部会のメンバ-と一緒に立つ「男衆」のかっこよさ。

黒子: 私は特に印象に残っているのは「炎のまつり」です。普段の気さくな雅淑さんとは別人のようで、皆さん本当にかっこよかった。

大塚氏: 火を見ると、やっぱりお祭り気分で楽しくなっちゃうんですよね。でも、昔の親方は本当に厳しかった。何も教えてくれない。登り窯は本当に難しい。一番大事な『大口(おおぐち)』の温度がどうしても上がらなくて、もがいていると、先輩たちが黙って交代するんです。彼らが焚くと、面白いように温度が上がる。あの悔しさ、背中で語る継承の厳しさは忘れられません。10年やって、ようやく自分で上げられた時は震えましたよ。

黒子: 今は大塚さんが若手を教える立場ですが、やはり背中を見ろ、と?(笑)

大塚: いや、俺はめちゃくちゃ丁寧に教えますよ。父には『門外不出の技術をなぜ教える』と怒られますが、教えないと産地は死んでしまう。口調は荒いかもしれないけど、これでも優しい方なんです(笑)。おれたちの世代が若手にちゃんと教えて、益子の登り窯の火を絶やさないようにしないと。

黒子: その優しさが次世代の希望になっているんですね。

大塚: 登り窯の技術をちゃんと覚えれば、ガス窯でも良い色が出せるようになるんです。

6.益子から世界へ

東京のセレクトショップとの長年の取引から、オランダのアムステルダムや、イタリアの家庭にも雅淑さんの器が並び始めています。健一窯の器は、今や益子を飛び越えて世界に広がっています。

健一窯 大塚雅淑
健一窯 大塚雅淑

黒子: 直接取引ではないけど、海外からの注文があるんですね。

大塚氏: ありがたいことですね。最初は「益子の器を置いてくれるなんて光栄だな」くらいに思っていたんですけど、ある時、ショップの方から「アムステルダムのお店でも人気ですよ」って言われてびっくりしました。セレクトショップの商品としてですが、継続的に50個、60個と注文が入るようになったのは驚きました。

黒子: 遠い異国の食卓で喜ばれてるんですね。

大塚: そうなんです。イタリアの店舗からも注文が入ったりして。あちらの人たちからすると、益子の伝統的な釉薬を使った「しっとりとした風合い」がすごく新鮮らしいんです。海外の器は、派手な着色、あるいは冷たい質感のものが多いから、益子の土と釉薬を使った温かみが、向こうの食卓にフィットしたんですかね。

黒子: 雅淑さんは、販路開拓についても非常に戦略的ですよね。直接取引にこだわらす、信頼できるパ-トナ-を通じて価値を広めていく。

大塚: 俺はもともと「家でじっと座ってろくろを回し続ける」のが苦手な性分なんです。落ち着きがない(笑)だから、東京で個展をやるのも単に作品を売るためだけじゃなくて、その後の「繋がり」を作るため。そのきっかけ作りを大切にしています。

黒子: これからの展望として、さらに海外を意識されているとか。

大塚: 海外の需要は肌で感じています。ただ、個人での輸出はコストが壁になる。だからこそ『益子ブランド』としてロゴを掲げ、輸出用コンテナを仲間と共有して世界へ送り出す……そんなダイナミックな仕組みを作りたいなって・・・。台湾や東南アジアも狙い目。自分たちで出向いて、実演して、直接魅力を伝える。そんな動きを同世代の仲間と考えてるんです

7.結び:「不自由さ」の中にこそ自由がある

対話を終える頃、雅淑さんは穏やかな表情で、自身の哲学をこう締めくくりました。

大塚氏: 今は何でも選べる時代です。でも、あえて『益子の土』『益子の釉薬』という、ある種の『不自由な枠組み』の中で表現を模索する。実はそれが一番面白いんですよ。制限があるからこそ、その中で新しいものが生まれた瞬間の喜びは格別。俺がこの土地で土を捏ね続ける理由かもしれません。

黒子: 不自由さを楽しむ、ですか?

大塚: 「伝統的な益子焼」と言う定義を大切にしながらも、そこにどうやって遊び心を滑り込ませるか。不自由さを楽しみながら、ふらふらと新しい挑戦を続けていく。それが健一窯のスタイルです。

黒子: その「ふらふら」とした軽やかさが、なんともいいですね!雅淑さん、今日はありがとうございました。

大塚: こちらこそありがとうございました。

健一窯 大塚雅淑